勝新太郎を見習って時代劇でも輝いた「いしだあゆみ」 どんな役でも感じられた独特の“色気”
ペリー荻野が出会った時代劇の100人。第32回は今年3月に亡くなった俳優のいしだあゆみ(1948~2025)だ。
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【若かりし頃の貴重写真】独特の硬派な“色気”が… 唯一無二の美しさを放つ「いしだあゆみ」さん
今春、76歳で世を去ったいしだあゆみは、歌手としては「ブルー・ライト・ヨコハマ」などのヒット曲を持ち、俳優としても「冬の運動会」(TBS)、「金曜日の妻たちへ」(同前)、「北の国から」(フジテレビ)など人気作に出演。都会的なイメージの人だった。
私がインタビューしたのは16年ほど前で、松本潤が主演のドラマ「スマイル」(TBS)で困難を抱える主人公の母親代わりの女性や、脚本・宮藤官九郎、主演・阿部サダヲの映画「なくもんか」でやたらタモリの番組の歌を歌う認知症の女性など、演技の幅をさらに広げている時期だった。「厳しい人」と聞いていたが、お会いしてみるとあっけらかんと明るい印象だった。
そのキャリアは子役から始まる。大阪でフィギュアスケートを習い、薦められて児童劇団に入る。15歳で上京し、歌のレッスンを受けながら映像作品にも出演。ドラマデビュー作は1964年放送の「七人の孫」(TBS)だった。森繁久彌が演じる明治生まれの主人公とその家族、お手伝いさんたちのにぎやかなやりとりが人気となったホームドラマで、いしだは孫のひとりを演じ、後に「時間ですよ」等でTBSの看板ディレクターとなる久世光彦、脚本家の向田邦子と出逢う。
「私は中学3年生でした。久世さんがまだADさんくらいでお弁当を手配していて、私は久世のお兄ちゃんをつかまえればお弁当が食べられると思ってました(笑)」
その後、歌手として多忙を極め、「NHK紅白歌合戦」にも出場したが、意外なことに歌についてはあまり自信が持てなかったという。
ヒットは自分の力ではない
「歌では怒られてばかりでした。当時のレコーディングは、ひとつ何かあれば2コーラス全部やり直しです。『ブルー・ライト・ヨコハマ』は2日かかりました。歌がヒットしたのは時代にフィットしたからで、私の力ではないと思っています」
時代劇では、1973年に放送された日曜劇場「初蕾」(TBS)が印象に残る。
茶屋の女中・お民(いしだ)は武家の長男・梶井半之助の子を身籠ったが、そのことを言い出す前に半之助は江戸へ出奔。お民は生まれた子を梶井家の門前に捨て子する。半之助の父はその子を小太郎と名付けて養育することを決め、うめと名を変えたお民を乳母として雇う。授乳の姿勢から武家の作法を仕込まれ、我が子や梶井家の人と触れ合うことでお民は少しずつ変化していく。
原作・山本周五郎、脚本・橋田壽賀子、プロデュース・石井ふく子、演出・久世光彦。蓮っ葉な娘が人として大切なことに気づき成長する姿は多くの視聴者を感動させた。この後、「初蕾」は、長山藍子、宮沢りえ、趣里など注目の若手女優によって舞台化、再ドラマ化が続くことになった。
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