なぜ2世芸能人は「ダメ男」に引かれてしまう? 趣里とBE:FIRST三山凌輝の交際報道の衝撃

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何をやっても「親の七光り」……偉大な親のプレッシャーと揺らぐアイデンティティーに見る「普通の恋愛」の難しさ

 共通するのは、「偉大な親」という重たい看板を背負わされつつも、「親の七光り」という批判からは逃れられない過酷な環境である。場数もろくに踏まないうちに、大舞台や話題作に抜てきされてしまうプレッシャーと、何をやっても親の名前に集約されてしまうつらさ。それは自身のアイデンティティーや、自己肯定感が大きく揺らぐ体験となることだろう。

 そうした苦しさからの救いを、恋愛に求めてしまったとしても無理はない。2世としてではなく、自分自身のアイデンティティーを確立したいという渇望が、無意識のうちに「親とは対極にある存在」「親が認めないような相手」に引かれる原因になってはいないだろうか。

 そして何より忘れてはならないのが、マスコミやSNSの存在だろう。2世タレントの恋愛は常に世間の注目を集め、好奇の目にさらされる。そうした認識を持つ男性は、2世女性においそれとは近づきづらい。だからこそ、ナルシスティックで派手好きなズレた男性ばかりが周りに集まりやすいという傾向があるのではないか。

 結果としてその恋愛が2世女性たちに傷を残すことも少なくない。もちろん、それは彼女たちも頭のどこかで分かっているだろう。世間のバッシング、親の反対、キャリアへの影響……そうしたダメージを受けてでも彼女たちが「ダメ男との危うい恋」に走るのは、やはり自己実現への強い欲求が根底にあるからなのではと勘繰ってしまうのだ。

炎上した実写版「白雪姫」とも重なるファンの期待と落胆 2世としては成功した趣里さんに集まる心配の声

 親が偉大であるがゆえに、自分だけの物語を生きたい。成功も失敗も、自分の選択で経験したい。「自分の人生を生きている」という感覚を与えてくれるのは、彼との恋愛だけ。それが、たとえ世間的に「ダメ男」と呼ばれる相手であっても――目下、結婚報道に関して否定も肯定もせず、沈黙を貫いていることもあって、趣里さんがそんなふうに考えているかは分からない。私たちが理解できないほど複雑で繊細な事情を抱えているのかもしれない。

 3月に公開された実写版映画「白雪姫」では、かつて白馬の王子様を待つ「受け身のお姫様」として愛されたヒロインが、主体的に行動した結果森の盗賊団の若きリーダーと恋に落ちる演出に改変されたことで大きな反発を呼んだ。

 従来のファンは「王子様を待つ無垢さが白雪姫の魅力だったのに」「なぜわざわざ『悪い男』と結び付けるのか」と落胆を隠さない。この失望感は、まさに大物芸能人を親に持つ2世女性たちが、「周囲から期待されるお姫様」から主体性を獲得した瞬間に、「危うい男」と恋に落ちたことで世間から突き付けられる落胆とよく似ている。

 白雪姫が王子様だけを待つ少女から、自らの足で運命を切り開く女性へと姿を変えたように、趣里さんも親の名前を隠してオーディションに挑み、数々のドラマや映画への出演実績を重ねて、2023年のNHK朝ドラ「ブギウギ」のヒロインを射止めた。その好演ぶりを見れば、十分に「親の影」から脱し「自分だけの光」を獲得するのに成功した2世といって差し支えない。

 だからこそ、不実さを感じさせる相手との恋愛によって、彼女のキャリアに陰りが差すのはもったいないというコメントはSNSでもあふれている。

 結婚報道が真実かはまだ分からないが、どうか「偽りの王子のキス」に惑わされることにはならないでほしい。本当のハッピーエンドはそこからだと、見守っている人は多いのではないだろうか。

冨士海ネコ(ライター)

デイリー新潮編集部

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