Netflix新企画「罵倒村」で怒涛の悪口を浴びる渡部建が探る「バラエティ」復帰への道

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むしろ好都合

 もちろん、渡部がすべてを許されたわけではない。今も彼に対して良い印象を持っていない人もいるだろうし、イジられるという形で過去の過ちが常に引っ張り出されるうちは、ずっと「罪人」というイメージは消えないのかもしれない。だが、その業を背負いながらも笑いを作り出す力がある限り、芸人としての立場を保つことはできる。

 地上波テレビで求められる清潔感や無難さからは大きく外れる存在となってしまった渡部にとって、「罵倒村」のようなNetflixのコンテンツに出られるのはむしろ好都合だったとも言える。スポンサーに配慮する必要がなく、企画の自由度が高い配信メディアだからこそ、渡部のような芸人が堂々とメインキャストを張ることができるのだ。

 この「罵倒村」というコンテンツは、渡部のバラエティ本格復帰への足がかりになるかもしれない。体を張ってボロボロになりながらも笑いを生み出している姿を見せることで、間接的に「反省している」というメッセージも伝えることができる。ネタバレを避けるために具体的には書かないが、「罵倒村」のクライマックスシーンの演出は、まさに渡部にとっては禊(みそぎ)のような意味を持っていたのではないか。

 もちろん、完全な信頼回復やイメージ一新はすぐには望めないし、「罵倒村」のような過激な笑いを追求するコンテンツが多くの人に受け入れられるかどうかもわからない。ただ、それでもこの場所に出るという選択をしたこと自体が、渡部にとって1つの賭けであり、何よりも「芸人としてまだ終わっていない」という意思表明になっているのは間違いない。

 渡部建は、もはやかつての「好感度芸人」ではない。だが、その代わりに別の意味で「強度」のある芸人にはなりつつある。不祥事を経て、ただの食通タレントから「傷を笑いに変える職人」へと進化した。そのたくましさこそが今の渡部建の最大の武器である。

ラリー遠田
1979年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部卒業。テレビ番組制作会社勤務を経て、作家・ライター、お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など多岐にわたる活動を行っている。お笑いムック『コメ旬』(キネマ旬報社)の編集長を務めた。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり 〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『逆襲する山里亮太』(双葉社)、『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)など著書多数。

デイリー新潮編集部

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