宝塚いじめ問題の対応で非難された「阪急阪神HD元会長」が死去 当時の取材に兄は「彼は逃げるタイプの人間」 社長時代には“阪神を守った”と喝采も
“阪神を守った”と喝采
同年、村上世彰氏が率いる村上ファンドが、阪神電鉄の株式を大量に買い占めていると判明。阪神は同じ地域を走るライバルだが、翌年、角氏は阪神株の公開買い付けを決断、約2500億円を投じ村上ファンドによる経営支配を阻止した。
コンサル会社の助言あってのことだが、阪神を守ったと喝采を浴びる。戦後初の大手私鉄同士の経営統合を実現し、阪急阪神HDの初代社長に就任した。
「村上ファンドの動きがなければ、阪神電鉄との経営統合はなかったと話していた。人命を預かる鉄道の経営を、素人が行いかねない事態を許せなかったのが本心だと思います」(村田氏)
「阪急タイガースは決してない」
山の手の高級住宅街を走る阪急、海寄りで庶民的な阪神と乗客の雰囲気から違う。共存共栄を最優先した角氏は、経営統合の成果は何なのか、と問われ続けた。
17年、会長に。22年には親交のある岡田彰布氏を阪神監督に招聘(しょうへい)する動きを主導。翌23年、阪神は38年ぶりの日本一を達成したものの、阪急の人間が球団に介入してきたと警戒される。「阪急タイガースは決してない」と火消しに追われた。
「ご遺族に謝罪して辞任すべきなのに……」
グループに位置付けられる宝塚歌劇団に自ら作詞作曲した曲を提供、宝塚音楽学校の理事も務め、積極的に運営に携わる。23年に歌劇団員が上級生のいじめにより自ら命を絶った時には対応が遅れ、非難を浴びた。
兄で弁護士の角源三氏は当時、本誌(「週刊新潮」)の取材に〈ご遺族に謝罪して辞任すべきなのに(中略)実行していない。人間性というのは極端な状況でこそあらわになりますが、彼は逃げるタイプの人間〉と語っている。
24年の株主総会で角氏は陳謝はしたが、引責辞任を口にせずさらに支持を失う。
同年12月、健康上の理由から阪急阪神HD会長を辞任。4月26日、76歳で逝去。
「20年以上、経営責任を担いながらもワンマンに変化した印象はない。取材への受け答えのどこか模範解答的な様子もずっと変わりませんでした」(村田氏)
「誠実」「謙虚」「バランス感覚」が好きな言葉だと50代半ばから語っていた。最晩年は、それが問われたか。
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