「女優」という呼ばれ方に「誇りを持っています」 70歳・高橋惠子が持論「何でもかんでも同じにしちゃうのはつまらない」

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

ゴールデン街にも何度か行った

 夫の高橋伴明監督もアングラ演劇や自主映画からキャリアをスタートさせていて、新宿ゴールデン街などで名をはせたが、「わたしもゴールデン街には何度か行ったことがあります。夫とは別に」と高橋は笑った。

 ドラマ「太陽にほえろ!」の「マカロニ(早見淳)」のショーケン、萩原健一さんは同じ事務所に所属していたこともあり、公私ともに親交があった。

「わたしの中では兄妹みたいな、ちょっと出来の悪い兄というと失礼ですけど、まわりを困らせてしまうところもあって……。刑事役にもかかわらず、白いスーツを着るという、あり得ない衣装なんですけど、それを定着させて、そんな刑事もいるんだというふうに思わせたりしていましたね」

 スターが型破りであることを受け入れられた時代でもあったのだろう。1989年からのフジテレビ系ドラマ「過ぎし日のセレナーデ」で共演した田村正和さんもそのひとりだ。

「一番びっくりしたのが、娘さんの結婚式にも出られないというエピソードでした。一般の方がいらっしゃるところに座り、飲食を共にするようなことはしないというのです。本当は行きたかったのでしょうけど、イメージを大切にされていました。

 ドラマでのロケでも、出演者と一緒に食事することはありません。当時は新幹線に個室がありまして、『惠子ちゃんは個室じゃなくても平気なの? 僕は個室がないと駄目なんだよ』って仰ってました。プライベートをとことん人に見せない。

 新橋演舞場での舞台では、トイレを使われるとき、スタッフの方が衝立を立てて、出入りするところを見えないようにしていました。神戸の郊外でのロケでご一緒したときは、泊まってらっしゃるホテルで用を足されるから、往復で一時間くらいかかる。そのくらい、徹底されていました」

 最近はこうしたスターたちの個性どころか、男女間の性差もジェンダーレスな表現を目指すとして、女優という呼び方も否定的な風潮がある。

「でもわたしは女優という呼ばれ方が好きですし、誇りを持っています。男性ならではの素晴らしさがあるように、女性の素晴らしさ、持ち味があって、何でもかんでも同じにしちゃうのはつまらないと思います。

 もちろん、差別は良くないです。上下関係も行き過ぎは良くない。でも、何のために男という存在と女という存在があるんですかって聞きたいです。違いがないと駄目なんですよ。平等にしなきゃいけないという発想のもとに皆が同じにされるというのは、自由を奪われることになりかねません」

 主義主張もしっかりと表現する。

 ***

 第4回【6人の孫に恵まれて 「あーちゃん」高橋惠子、103歳まで生きると決めて「それまでに転職するつもりです」】では、死生観や人生観を語る。

高橋惠子
1955年、北海道出身。1970年、映画「高校生ブルース」でデビュー。ドラマ「太陽にほえろ!」のシンコ役で人気に。1982年に監督の高橋伴明氏と結婚。映画・舞台・テレビで活躍を続けている。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。