臭気まき散らす黄金列車、童謡「春の小川」は下水道に…臭い物に蓋をせず学ぶ「日本ウンコ史」

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下水道になった「春の小川」

 1964(昭和39)年に開催された東京オリンピックに合わせて、新幹線や首都高速道路といったインフラが整えられたことはよく知られている。実は下水道もその一つだった。1959(昭和34)年に開催が決まってから、下水道の整備が一気に加速した。

 日本最大の水再生センターとして知られる東京・大田区の森ヶ崎水再生センターにしても、1962(昭和37)年に着工している。

 1961(昭和36)年には、東京の中小河川を暗渠にする方針が出された。汚い、臭いと評判の悪かったどぶ川に蓋をして、下水道として利用するという、ずいぶんと乱暴な政策である。

 大正時代に作られた童謡「春の小川」。その中で「さらさら行くよ」と清流として歌われているのが、東京都渋谷区を流れていた河骨川だった。その名前は、コウホネ(河骨)という水草に由来する。

 スイレン科のコウホネは、沼地に生えて黄色い可憐な花を付ける。戦後の地域開発や河川改修などで、生息できる環境を急激に失っていった。いまや東京都をはじめ、多くの都府県で絶滅危惧種に指定されている。

 国文学者の高野辰之(1876―1947年)は、河骨川周辺の景色を愛でてよく散策した。1912(大正元)年に作詞して発表したのが、「春の小川」だった。 岸にすみれやれんげが咲くのどかな河骨川は、高度経済成長期には生活排水で汚れてしまう。

 そこで先の方針に従って暗渠とされた、かつて流れていた場所を2024年12月に訪れた。代々木公園のすぐ西側で、小川は跡形もなく消え去っている。道路が湾曲しているのが、その名残だ。道路脇に設置された 記念の石碑だけが、かつてここに川が流れていたことを伝えている。

 夕暮れ時で、親子連れや若者など、それなりに通行人はいるものの、石碑に目をとめる人はほとんどいない。そのすぐ後ろは小田急電鉄小田原線の線路で、ゴーッと音を立てて電車が行き来する。

 石碑の前をゆるやかに曲がりながら走る道路をたどっていくと、マンホールがあった。大きな桜のマークが描かれ〈東京・下水道〉の文字が刻んである。河骨川はこの下を下水道となって流れている。その流れの音を、地上の住民が聞くことはない。

八潮市の道路陥没事故で明るみなった莫大なインフラ更新費用

 都の下水道局が発足したのは、オリンピックの2年前、1962(昭和37)年のことだ。オリンピックの翌1965(同40)年、「厚生白書」に「一億総水洗化目標」が掲げられた。1985(同60)年をめどに、すべてのトイレを水洗にしようという野心的な内容だ。

 ぼっとん(汲み取り)と水洗の便所では、水の使用量が全く変わってくる。当時の水洗トイレは、一回に20リットルと現在の4、5倍もの水を使っていた。日本人の一日の排泄量の平均である200グラムのウンコを流すとしたら、およそ100倍の下水が発生してしまう。

 下水道の整備が急務となり、東京だけでなく、全国で公共下水道の整備が推し進められていく。いまや総人口に占める下水道の普及率は81.4パーセント(2023度末)に達している。

 浄化槽といった下水道以外の汚水処理施設も含むと、汚水処理人口普及率は実に93.3パーセント(同)に達する。1億1614万人が汚水処理施設に接続できている現状を下水道業界は汚水処理の「概成(おおむねできていること)」に近づいていると評価している。

 ところが、その概成を祝うより先に、インフラの莫大な更新費用に私たちは慄くことになった。象徴的だったのが2025年1月に埼玉県八潮市で起きた道路の陥没事故だ。耐用年数の50年に満たない下水管の腐食で道路に穴があき、トラック一台が転落して運転手が行方不明になった。

 この管は直径が4.75メートルもある巨大なもので、地下10メートルの深さに埋まっていた。都市の地中深くをこれほど太い下水管が走っていると、この事故を機に知った人は多いだろう。

 汚くて暗かったトイレが、明るくて衛生的になる。ここまで駆け足でみてきた近代化の過程で、下水や屎尿は、どんどん人の目に触れなくなっていった。下肥が農業に欠かせなかったという記憶も、若者には引き継がれていない。

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 この記事の前編では、同じく『ウンコノミクス』(集英社インターナショナル)より、コメ不足と並び近年問題になっている「海苔の不作」と「下水道」との意外な関係について取り上げている。

『ウンコノミクス』(山口亮子著、集英社インターナショナル)

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【著者の紹介】
山口亮子(やまぐち・りょうこ)
ジャーナリスト。愛媛県出身。2010年京都大学文学部卒業。2013年中国・北京大学歴史学系大学院修了。時事通信社を経てフリーになり、農業や中国について執筆。著書に『日本一の農業県はどこか―農業の通信簿―』、共著に『誰が農業を殺すのか』(共に新潮社)、『人口減少時代の農業と食』(筑摩書房)などがある。雑誌や広告の企画編集やコンサルティングなどを手がける株式会社ウロ代表取締役。

デイリー新潮編集部

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