「相葉くんは5人での活動を続けたかったようだが」 「嵐」電撃解散の裏側 今年の紅白出場は「大野くんの気持ち次第」
嵐が来年春の解散と、それに向けての活動再開を発表した。期間限定ではあるが、国民的スターの電撃の復活劇に、主要キー局は早くも大慌てとなっている。
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自由に生活をしてみたい
5月6日、ファンクラブの動画で5人が揃い「これまで支えて下さったファンの皆さんに直接感謝の思いを伝えるために、私たちは、再び5人で集まり、嵐として来年の春頃に予定しているコンサートツアー開催に向けて動き始めます」と発表。同時に「このツアーをもちまして、嵐としての活動を終了いたします」と解散も発表した。
2020年12月31日の東京ドーム無観客コンサートを最後に、活動休止に入った嵐。その大きな要因は、リーダーの大野智の「自由に生活がしてみたい」という強い思いである。活動休止中の大野は宮古島でリゾートホテル事業に携わるなどして、芸能界とは一線を画していた。ある芸能プロ関係者は言う。
「休業当初は東京にいることも多かったのですが、時が経つにつれて、宮古島が本拠地のようになっていきました。いまでは両親も宮古島に移住しています。もっとも、休止中でも、STARTO ENTERTAINMENT(ジャニーズ事務所の事業を継承)は大野と連絡を取っていましたし、5人で今後の活動についての話し合いも行っていたそうです」。
その中で、活動再開の話も出たというが、大野が首を縦にふることはなかった。
SnowManコンサート
ただ、そんな大野も「ファンの前で今後の方向性についてきちんと説明できていないことは気がかりだったようです」(同)。大野が重い腰を上げるきっかけになったのが、「25周年」というワードだ。
「昨年11月3日のデビュー日で嵐は25周年イヤーに突入しましたが、その年に何とか復活、活動再開をという思いはほかの4人に強かった。今年4月にSnow Manが国立競技場でコンサートを開催しました。これはもともと嵐のために用意した箱ともいわれていますが、結局、大野が首を縦に振らなかった。ただ、彼の中でもこのまま解散していいという思いはなく、短期的な活動であれば、復活してもいいというところまで考え方が変わっていった」(同)。
しかし、ファンに恩返ししたいという思いはあるものの、そのまま5人で活動を継続していくだけの決意まではなかった。
「だからこそ、コンサートツアーが終わった段階で活動終了ということに決めたのでしょう。メンバーの中でも相葉雅紀はグループ活動を続けていきたいという思いが人一倍強かったようですが、大野の思いも理解し、解散と期間限定の復活という結論に至ったようです」(同)
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