金田正一、米田哲也に次ぐ歴代3位 通算320勝「投げる精密機械」と呼ばれた男の野球人生 「完投をこそ信条とする真のプロ」【追悼】
張本勲も「打てなかった」
62年には27勝。5試合連続完封を含む13完封、47イニング連続無失点、10試合で無四死球、270奪三振と傑出した成績を残した。
「全盛期にも慢心しない。苦手な王さん対策に落ちる球のパームボールを本格的に使い始め、本塁打を打たれなくなった」(有本さん)
64年、東京(現・ロッテ)へ移籍。同年、自己最高の30勝を記録している。
東映(現・日本ハム)時代に対戦した張本勲さんは、
「打てなかったですね。困ってセーフティーバントをしたことがあります。冷静な小山さんに、こらーと怒られました。制球力だけでなくスタミナもありました」
両リーグで100勝以上を挙げた唯一の存在
73年、移籍した大洋(現・DeNA)で引退。320勝という記録に加え、両リーグで100勝以上を挙げたのは小山さんだけだ。
古巣の阪神などでコーチを担う。90年代にダイエー(現・ソフトバンク)で、共にコーチを務めた藤原満さんは言う。
「基本を徹底して体で覚えさせる指導です。小山さんが続けてきた走り込みや投げ込みを、若い選手がそのままできるわけではなかったものの、面倒見が良い。先発、中継ぎ、抑えという投手の分業には否定的でした」
100球をメドに先発投手を交代させる風潮に、130球ぐらいまで疲れは変わらず降板で試合の流れが変わりかねない、と異議を唱えた。練習で体を鍛え、年齢の限界までプロの技を見せ続ける、を実践してきた小山さんらしい考え方だ。
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