金田正一、米田哲也に次ぐ歴代3位 通算320勝「投げる精密機械」と呼ばれた男の野球人生 「完投をこそ信条とする真のプロ」【追悼】

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 物故者を取り上げてその生涯を振り返るコラム「墓碑銘」は、開始から半世紀となる週刊新潮の超長期連載。今回は4月18日に亡くなった小山正明さんを取り上げる。

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エースの誇り

 阪神などで活躍した小山正明投手は「投げる精密機械」の異名を取り、「針の穴を通すコントロール」と称賛されたが、決して大げさな表現ではなかった。

 通算320勝は、金田正一(400勝)、米田哲也(350勝)に次いで歴代3位。現役21年のうち7年で20勝以上を記録している。

 年上にあたる野球評論家の有本義明さんは思い返す。

「阪神時代の1950年代後半から60年代初めにかけて特に輝いた。捕手のリード通り、構えたミットに寸分の狂いなく投げられた」

 この頃は王・長嶋が台頭、巨人で一緒だった広岡達朗さんは振り返る。

「小山さんには苦労しました。ストレートは速いだけでなく、球の勢いが落ちずに伸びてくる。しゃあしゃあと放っているように見えて、投げ方が理にかなっていた。無駄な力が入っていないから疲れ知らず。コントロールが良いのはフォームが崩れておらんということです。勝負から逃げず、打たれても表情を変えない。エースの誇りがあった」

天覧試合で先発

 34年、兵庫県明石生まれ。県立高砂高校時代は全く無名の選手で、53年、テスト生として現在の阪神に入団。

 藤村富美男らスター選手の打撃投手に。ストライクを投げても相手の機嫌が悪い。各選手が好むストライクを投げ分ける制球力をつける必要に迫られた。

「それほど先輩が怖い時代。コントロールを身に付けるには投げ込まなければと考え、そのために強靭で安定した下半身が要るとひたすら走り鍛えた」(有本さん)

 入団翌年、先発ローテーション入りして11勝。阪神のエースとなり、村山実との二枚看板に。59年の天覧試合で先発したことからも投手の顔だったと分かる。

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