昭和的「人情」と令和の「孤独」が交差 築45年団地が舞台のドラマ「しあわせは食べて寝て待て」が示す“再生”の処方箋

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誰も病人扱いしない

 ドラマ側が昭和の良かったところも見せようとしているのは団地の描写以外でも分かる。たとえば第3回である。麦巻が勤める唐デザイン事務所が栃木県那須塩原へ社員旅行に出向いた。

 近年、社員旅行を行う会社は激減した。全体の3割未満とも言われる。若手社員が行きたがらないのが大きな理由だ。麦巻が勤める唐デザイン事務所の若手であるマシコヒロキ(中山雄斗)、巴沢千春(奥山葵)も乗り気ではなかった。

 ところが、いざ行ってみると、代表・唐圭一郎(福士誠治)が普段は口にしない学生時代のバンド活動について明かして盛り上がったり、4人で星を眺めて癒やされたり。「空を見上げるなんて久しぶりです」(千春)。数値には表れない効用があった。

 昭和と令和について、その功罪は簡単には決められないが、少なくとも昭和を全て否定してしまうのは早計ではないか。

 気がつくと、団地の面々も唐デザイン事務所の同僚も誰一人として麦巻を病人扱いしない。珍しいドラマだ。

 今の時代を生きる仲間だから特別視しないのであり、それぞれが麦巻とは違ったハンデを負っているからだろう。

 鈴は高齢。夫が亡くなったあとは長く沈み込んでいた。司は赤ん坊のころに父親が蒸発したため、自分にも無責任な血が流れていると思い込み、家庭を持つことに強い不安を感じている。

 八つ頭は対人関係が不得手なことや引きこもっていた過去を引け目に感じているらしい。りくは家族の要求と自分の思いの乖離に苦しんでいる。

 かといって弱者が肩を寄せ合うドラマでもない。観る側だって大なり小なり傷を抱えているからである。だから共感する。

 麦巻は以前の会社に勤め、賃貸マンションに住んでいるころは厭世的になっていた。

「私が死んだら、お葬式には何人くらいくるのかなぁ・・・…。誰も来なくていい」(第3回)

 今も死を考えることがあるが、それを冗談で済ませられるようなった。「死にたい」と思った途端、「なーんてウソだけどね」と付け加えられる(第4回)。団地の面々と職場の同僚に囲まれているからである。

 生きるヒントがいくつもちりばめられているのも特徴だ。その1つは八つ頭の言葉にあった。第6回である。家族との関係に葛藤するりくに向って、こう言った。

「逃げてもいいと思いますよ。僕があのとき(仕事から)逃げたのも正解だったと思います」(八つ頭)

 現状を捨てるのは簡単なようで難しい。しかし心身が蝕まれるよりはずっといい。単純なようで深い言葉だった。

 麦巻も以前の会社や賃貸マンションから逃げたから、人生に降っていた雨が止んだ。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。1990年にスポーツニッポン新聞社に入社し、放送担当記者、専門委員。2015年に毎日新聞出版社に入社し、サンデー毎日編集次長。2019年に独立。前放送批評懇談会出版編集委員。

デイリー新潮編集部

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