「私が殺されたら、犯人は…」と口にしていた女子大生 「桶川ストーカー殺人事件」の教訓は川崎で生かせなかったのか

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 神奈川県川崎市の女性死体遺棄事件は、7歳下の元交際相手にストーカー行為を繰り返していた白井秀征(ひでゆき)容疑者(27)が逮捕されたことで、全容解明に遅まきながら一歩進んだといえそうだ。

 事件そのものもさることながら、警察がどこまでこの件について情報を開示するかも注目の対象となっている。

 被害者の女性や周囲が元交際相手の危険性を訴えたにもかかわらず、警察の動きは鈍く、最悪の結果に――ストーカー事件では何度も見られたプロセスだ。ストーカー規制法制定のきっかけとなった「桶川ストーカー殺人事件」では、本人や家族、友人らの訴えを埼玉県警が本気で取り合わなかったことがよく知られている。

 それどころか事件発生後はメディアにまで先行されるという失態を警察は犯していたのだ。また、事件発生直後には、女性側に問題があったかのような情報をリークしたり、犯人逮捕につながる情報が提供されていたにもかかわらず軽視していたことが明らかとなっている。

 こうした一連の経緯はジャーナリストの清水潔氏の著書『桶川ストーカー殺人事件 遺言』に詳しいが、ここでは清水氏らがなぜ警察に先行して犯人グループを捉えることになったのか、警察側の落ち度がよく分かるドキュメントを見てみよう。(『FOCUS スクープの裏側』〈2001年刊〉をもとに再構成しました)。

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私が殺されたら、と口にしていた被害者

 埼玉県上尾市に住む女子大生・猪野詩織さんが、通学途中にJR桶川駅前で刺殺されたのは1999年10月25日の火曜日だった。

 FOCUS編集部は校了後の休みに入っていて、前日徹夜で原稿を書いていた記者の清水潔にも、束の間の安息が訪れるはずだった。

 けたたましく携帯電話が鳴り響いたのはそんな日の昼下がり、相手は十数年仕事を共にしてきたカメラマンの桜井修であった。

「埼玉で女性が刺されました。どうも通り魔のようです」

 事件記者の休日はあっさり吹っ飛び、現場へと急行する。目撃情報では、犯人は身長170センチくらい、短髪で小太り青いシャツを着た30代とのことだった。

 詩織さんは左胸と背中を鋭利な刃物で一気に刺されていた。死因は出血多量、殺意があったのは明らかで、犯人は笑いながら逃走したという。

 詩織さんの1週間の行動スケジュールが分かる人物ならば待ち伏せもたやすいし、被害者は彼女一人だ。「通り魔なんかじゃない」。清水はそう確信していた。

 翌日は各社こぞって「ストーカーの犯行か」などと報じていた。この人物が小松和人27歳と判明した矢先、清水は「詩織さんの親友」と名乗る男女に会えることになる。

 大宮市内で待ち合わせしたのち「会話を聞かれたくない」との希望でカラオケボックスへ。ここで清水は、決定的な一言を耳にした。

「詩織は、小松と警察に殺されたんです……」。彼らは畳みかけるように、

「彼女はこう言い残していました。“私が殺されたら犯人は小松”って。警察にも相談したのに、詩織には何もしてくれなかった。そして結局は殺されてしまった……。今はこうして話している僕たちだって危ないんです」

 詩織さんの「遺言」に衝き動かされ、地を這うような取材が始まった。

小松の素性

 詩織さんに「自動車ディーラー」と称して近づいてきた小松は身長180センチの細身で、羽賀研二と松田優作を足して2で割ったような風貌だという。明らかに刺殺犯とは別人だ。一体この男は何者で、刺殺犯とはどのように繋がるのか。その疑問は、編集部に入った一本の情報提供の電話がきっかけで氷解する。

 発生の翌週発売されたFOCUSの記事に「ストーカーK」とあるのを見た読者Aさんは「Kというのは小松のことでしょう。池袋でいくつも成人向けのサービス店をやっていますよ」と教えてくれた。

 以後、清水はAさんと頻繁に連絡を取り合うことになるのだが、用心のため最後まで身元を明かしてくれなかった。

 小松の息のかかった店を捜すべく、清水の「池袋詣」が始まる。連日、サービス店関係者から客引きまでしらみ潰しにあたり、可能性のある店には、自ら客を装って潜入もした。

 が、実際は事件の1週間後には数カ所の店が「警察の手入れがあるから」と一斉に閉店していたのだ。

 手掛かりを失った清水は、ある仮説を立てた。詩織さんに対する一連のストーカー行為は、全てが組織的に行われている。深夜に自宅前で車のカーステレオを大音量で鳴らして嫌がらせをしたのは小松のサービス店の従業員だった。彼女の中傷ビラを撒いていたのもチーマー風の若者。ならば、刺殺犯も小松の手下なのでは……。

 そんな推測から、清水は取材で知り合った何人かのサービス店関係者に刺殺犯の特徴を伝え、心当たりを尋ねてみた。反応は思いのほか早かった。

「それはPという男ですよ。池袋のサービス店の店長なんですが、小松に借金があるとかで恩を感じていて、頭が上がらない。こんな子分が小松には大勢いるんです」

 この話を別の関係者にしたところ、「ついにPの名前が出ましたか。実はあの事件にはPが関与しているのでは、と噂が出ていたんです。10月末のある日、多分あの事件の日だと思うんですけど、普段は口数が少ないPが、夕方店に帰ってくるとすごいハイテンションで、飲みに行こう、飲まなきゃやってられないなんて誰彼構わず声をかけてましたよ」

 店は最近閉まり、本人も姿を暗ましたという。清水は、旧知の仲である埼玉県警クラブ所属の記者にこの一件を伝えた。マスコミから情報を貰って慌てた捜査本部が行なった犯歴照会によれば、Pは34歳。かつて広域暴力団に所属していたという。捜査員から彼の写真を見せられた刺殺現場の目撃者も、顔をはっきり覚えていた。事件が一つの線で繋がったのだ。

張り込みと面確

 池袋の小松の店が閉まってから3日後、清水はある関係者から「小松の店が西川口で営業している」という情報を得た。

 実際に足を運ぶと、そこにはマンションの一室を借りているだけで看板もない、いかがわしい店があった。

 小松やPが立ち寄る可能性は大だ。

 結論は一つ、張り込むしかない

 カメラマンたちは、明けても暮れてもマンションの一室の鉄製ドアを睨みつづけていた。まるで、網膜にドアの形状が焼きついてしまいそうだった。Pの身体的特徴しか分かっていないため、その部屋に入る人物は全て押さえなければいけない。シャッターチャンスは、ドアが開いたほんの一瞬。緊張感を保ちつつひたすらファインダーを覗き続けるというのは、この上なく過酷な作業であった。

 張り込みを始めて1週間。撮り溜めた写真を「面確」、つまり誰かに見てもらい人物の特定をしてもらわなくてはならなかった。

 誰が最適か。

 清水の脳裏をよぎったのはAさんだった。

 絶対に会わないというのが協力条件だったので、写真の受渡しには特殊な手段を用いた。指定された場所に何枚かの候補写真を入れた封筒を置き残し、それを彼が回収するという方法なら、誰に見られることもない。

 が、10人以上の人物を同封したにもかかわらず、Aさんの回答は「この中にはいませんね」。これで、張り込みは一旦振出しに戻ることになった。

 事件から1カ月が過ぎたある日、再び池袋のサービス店関係者から清水に耳寄りな情報がもたらされた。「小松の店にいた連中が、池袋東口のマンションで新しい店を始める」というものだった。

 すでに人の出入りは多く見られ、その中にはPと親しい仲間の姿があるというのだ。すぐにロケハンへと飛ぶ。部屋は確かにあった。

 が、とても張り込みが出来そうにない。マンションは開放廊下とはいえ、ビルに挟まれて地上のワゴン車から捕捉するのは不可能だった。

 清水は事情を説明して、部屋を貸してくれるよう近隣のビルのオーナーに片っ端から頼んで回った。

 あるビルで「訳あってしばらくカメラを置かせてほしい」と言うと、そのオーナーはしばしの沈黙の末、ニコリと笑って応えてくれた「いいですよ、何だか知らないけど熱心ですね」。

 そこは連中の店からは絶対に見えない、完璧な場所だった。翌日から早速、桜井が張り込みに入る。今度は、1200ミリの超望遠レンズと併せて、デジタルビデオカメラも設置した。現場の映像はテレビモニターでチェックし、スチールカメラはリモートコードで作動させることにした。

 12月6日の月曜日、午後。桜井のキヤノンEOS-1は、36枚撮りのロールフィルム3本にわたってある人物を確実に捉えることに成功した。桜井からの無線連絡で、地上でスタンバイしていたカメラマン大橋和典もまた、鮮明にその姿をキャッチしていた。校了日のため会社で別件のゲラチェックに携わっていた清水に、桜井が電話をかけてきたのは午後4時すぎ。

 珍しく声が弾んでいる。

「さっき男が来たんですけど、170センチくらいで短髪、この男……」

「ちょっと待て!」

 清水があたり構わず叫んで矢継ぎ早にPの特徴を伝えると、桜井も一つ一つ噛みしめるように相槌を打った。

 間違いない、「当たり」だ。

 桜井と大橋は会社に急行し、写真部で現像のあがりを待った。やるべきことは「面確」だ。今回もAさんには、あえて複数の人物の中から抽出してもらうことにした。

「この男ですか」と1枚だけ渡せばどうしても先入観が働くからだ。多数の写真にそれぞれ番号を振り、封筒にしまう。Pと思われる男には、期待を込めてラッキーセブンの7番を打った。清水も同じ写真をワンセット携帯し、約束の場所である池袋東口へと向かう。指示された通り、大型カメラ店近くのタバコの自動販売機の下に封筒を入れて、待つこと3時間。待望の連絡が来た。

情報提供にも反応しなかった警察

「いやあナイスショットです。7番がP。一緒にいるのはS(殺人の共犯でのちに逮捕)ですよ。よく写ってますねえ」

 撮った! 頭の中をこの3文字が駆けめぐった。

 時刻はすでに深夜、清水は構わず桜井に電話をかけて、「おい、俺らはついに警察より早く犯人に辿り着いたぞ」。小説やドラマなどではない。紛れもない現実の大スクープだった。

 一方、FOCUSに先を越されてしまった埼玉県警の捜査は、遅々として進まなかった。業を煮やした清水がPの情報を提供し続けたというのに、全く腰が重い。そもそも、記者クラブ非加盟だからという理由で取材にすら応じなかったのだ。

 結局、Pら実行犯4人が逮捕されたのは12月19日。カメラマンがその姿を捉えてから、実に2週間が経とうとしていた。そして肝心の「主犯」小松は行方不明のまま。それでも、事件前に詩織さんに告訴を取り下げるよう要請していた埼玉県警は、事件の発端となった男を真剣に追おうとはしなかった。

 不祥事発覚を恐れていたのは言うまでもない。

 年が明けて2000年1月27日、遅ればせながら名誉棄損容疑で指名手配となっていた小松は、北海道・屈斜路湖畔で溺死体となって見つかった。同年5月18日、国会ではストーカー行為規制法が成立。この日は、亡くなった猪野詩織さんの22回目の誕生日だった。

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 こうした事件が起きる度に、警察側からは被害者にも落ち度があった、あるいは改善点があったといった情報が流される。それをそのまま流すメディアもある。これもまた当時との共通点である。

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