結局、「すし職人」に長い“見習い期間”は必要なのか プロの職人が明かす「修業中に失敗をし尽くすこと」の重要性
すしを大衆化した「回転すし店」
このように、今回話を聞いた高級すし店の店主らからは、「見習い期間の少ない職人」の存在を否定する声は聞かれなかった。同じ「すし」という食べ物を扱ってはいても、長年の積み重ねがあるからこそ、サービスや客層の奪い合いが起きないという自信があるのだろう。
なかでもより差別化が顕著なのが「回転すし店」だ。
前出のすし店主に「近年急成長している回転すし店についてどう思うか」と問うたところ、やはりこんな答えが返ってきた。
「見習い期間の短い職人がいる店同様、回転すし店とももちろん住み分けができているので、回転すし店が増加することに特段の感情はありません。むしろすしの大衆性が高まり、高級すし店にも足を伸ばしてみたいと思っていただく機会になればと思います」
誰もが知る通り、これまですしは日本の伝統食ではあれど、うどんやそばなどと違い、毎日でも食べられるような安価な食べ物ではなかった。高級すし店に入れば、ランチのにぎりセットでも3000円はくだらないし、ディナーともなれば1人5万円という店もザラにある。回転すし店は、伝統食でありながら気軽に食べられないすしと一般人の距離を一気に縮め、大衆化に寄与した存在だといえる。
そんな回転すしは、大手お酢メーカーのミツカンによると、昭和22年「元禄寿司」が始めたものだとされている。
1938年、満州の大連で開店したてんぷら屋が「氷の天ぷら」を出し繁盛。その後、終戦で帰国すると1947年に、大阪府布施市(現在の東大阪市)に小料理屋「元禄」を出店。そこから派生して元禄寿司は誕生した。
繁盛店ゆえの人手不足。そんななか考案されたのが、コンベアーですしを回すことだった。こうして昭和33年(1958)、ついに「廻る元禄寿司」が開店したという。
それまでのすし店は「いくらになるか分からないが高価格であることは間違いない店」だった。一方の回転すし店は、「一皿いくら」と明瞭会計なうえ、大量に作ってすしを流すことで安価に抑えられる。まさに「すしの大衆化」の始まりといえる。
こうして日本の大衆に定着した回転すし店は、ここ数年、急激に変貌を遂げている。
ひと昔前の回転すしは、回転するレーンの内側にたくさんの職人がおり、握ったすしを彼らがレーンに流したり、直接注文を受けて握ったりする姿があった。それが、今では職人は姿を消し、その工程の多くをキッチンの機械に頼ることで、大量生産を実現。コストをできる限り抑え、若者や家族連れでも楽しめる場となったのだ。
回転すし店に迷惑客が多い理由
この急激な変貌直後、回転すし店では、醤油さしに口を付けた男性や、舐め回した湯飲みを元の場所に戻した少年(当時)など、客による営業妨害行為が多発。衛生管理第一のすし店で起きたこれらの行為はSNSで瞬く間に拡散され、大きな話題になった。
こうした事件が起きた原因は、まさに回転すしの「大衆性」と「人手不足」にある。同じく客による営業妨害が起きている牛丼屋やファミレスなども、やはり大衆性があり、店員が足りていない。
昨今の労働人口の減少により、飲食店の現場では人手不足が慢性化。どこもセルフレジや自動調理器、さらには配膳ロボットまで導入するようになった。
とりわけ回転すし店では、職人をカウンター席で囲うこれまでの形を、家族でも向き合って食べられるようなボックス型の席に変え、他の客と目が合わないようなレイアウトにした。なかには、食べ終えた皿を投入口に入れることでゲームができる仕組みをつくり、皿の回収からカウントまでを店員なしでできるようにしている店も。
こうして利用する客が多様化し、ボックス席という閉鎖的な空間で客同士の目はもちろん、店員からの監視もなくなれば、営業妨害行為が起きないわけがないのだ。
「高級すし店では間違いなくああいう人はいません。もちろんあの営業妨害において最も非があるのはお客様ではありましたが、大衆性を狙った戦略を立てておきながら、防止対策を怠った店側にも『隙』があったんじゃないかと個人的には思っています」
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