「べらぼう」で紹介された渡辺謙「田沼意次」の相良城 完成からわずか8年で徹底破壊という残酷物語

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すべてが取り壊された

 天明8年(1788)1月16日から2月5日にかけて、相良城は徹底的に壊された。完成してまだ8年しか経たない城だったが、田沼意次は不正を理由に処分され、これからはあたらしい時代が到来する、ということを視覚的に示す必要があったのだろう。

 幕府方の収城使に城が明け渡されたのは天明7年11月25日で、その後、城は活用について議論されることもなかった。三重櫓を筆頭に6つの櫓や御殿はもちろん、門、長屋、役宅から塀にいたるまで、すべてが完膚なきまでに取り壊された。続いて2月22日には、材木から建具、什器などまでが競売処分に付されている。

 続いて、石垣等も徐々に運び出されていった。その5カ月後の7月24日、意次は失意のうちに江戸で没している。

 意次の手を離れてからの相良は、以前と違って取り立てが厳しくなり、失業者は増え、文政5年(1822)には大きな一揆が起きて代官所が襲撃されている。このため幕府は、徳政家として知られた小島蕉園を代官に起用し、蕉園の発案で、田沼家の当主となっていた意次の四男、意正を相良に戻し、相良藩を復興させた。

 こうして結果的に、幕府はみずからが葬った田沼意次が「善政」を敷いてきたことを認めたのである。

香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。

デイリー新潮編集部

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