「ゴジラ」音楽の生みの親「伊福部昭」の伝説が令和に復活 坂本龍一も訪れた1983年「日比谷公会堂コンサート」の衝撃とは
あの坂本龍一氏も……
当時、伊福部昭にかぎらず、作曲家にとって映画音楽の仕事は、あくまで「生活のため」との認識が強かった。伊福部自身、周囲から「ああいう(『ゴジラ』のような)キワモノばかりやってたら、作曲家としておしまいだぞ」といわれることもあったらしい。
「そのせいか、コンサートについても『わたしの音楽は、ゴジラだけではありません』とあまり気が乗らなかったようです。そこで、当時、東宝音楽出版のディレクターだった大石稀哉さん、さらに竹内博氏や西脇博光氏が、何度も伊福部先生のもとへ通い、説得にあたりました」(岩瀬さん)
それでも、なかなかOKが出なかった。
「やがて、1983年2月に、伊福部先生のクラシック作品コンサートが開催され、これが好評だったので、その勢いで、ふたたびお願いしたところ、ようやくOKをいただきました。そのときも、西脇氏が、カセットでイメージ・テープをつくって持っていったそうです」
映画音楽とは、スタジオで録音したあと、ミキシング作業で音量やバランスを調整し、映画館のスピーカーから流れる音が完成形である。よってオリジナル楽譜は、演奏会用には書かれていない。よって、「編曲」というよりは、ゼロから「再創造」する、「作曲」そのもののような作業になった。
こうして完成したのが、《SF交響ファンタジー》第1番~第3番の3曲である。1曲あたり15分前後で、6~9曲ほどの“伊福部特撮音楽”が、次々と登場する。
「1983年8月5日の日比谷公会堂では、わたしは外で誘導整理をやっていたので、会場内では聴けませんでしたが、とにかく完全満席で、すごい熱気でした。YMOや、映画『戦場のメリークリスマス』で一世を風靡していた坂本龍一氏が来たのを覚えています」
昨年秋、“キング伊福部まつり”の幕開けに、この日の実況録音盤が、SACDハイブリッド盤で復活した。当日は、従来のアナログと、当時登場したばかりのデジタル録音機材「三菱X-80」の2種類で録音されていた。LPはデジタル音源だったが、今回は、可聴音域が広いアナログ音源がもとになっているという。
筆者も約40年ぶりに聴きなおしてみたが、これは尋常なコンサートではない。特に各曲のクライマックス、第1番で「宇宙大戦争」と「怪獣総進撃」の勇壮なマーチが交互に登場してドラの“咆哮”とともにつづく部分、第2番の「サンダ対ガイラ」のメーサー砲攻撃マーチ、第3番の「海底軍艦」+「地球防衛軍」などの部分は、血圧の高い方は要注意といいたくなるほどの高揚となる。「キワモノ」音楽で、ここまでひとを感動させることはできない。
「このコンサートが大成功だったので、伊福部先生も、吹っ切れたようでした。これ以降、先生は、『みなさんのお好きなように』と、いい意味で“ひらきなおり”されるようになったような気がします」
このコンサートが、5月26日に、おなじ曲目構成で、“再現”されるというわけだ(和田薫・本名徹次指揮、東京フィルハーモニー交響楽団ほか)。
そして、1975年の第15作「メカゴジラの逆襲」(本多猪四郎監督)を最後に、伊福部昭は、ゴジラ音楽から引退した……はずが、そうは問屋が卸さなかった。
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