海外遠征の「機内でレポート」を書き、暗記科目は「就寝前と起床直後」に復習…フェンシング界の頭脳派「宮脇花綸」が明かす“五輪メダリストの勉強術”

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「子供の頃は『何か問題出して』が口癖でした」

 文武両道で歩んできた宮脇選手は、2019年には慶應大学経済学部を卒業。選手としても2018年のアジア大会の団体戦で優勝を手にするなど、代表メンバーに定着したかのように思われたが、東京五輪では代表落選を経験。五輪を終えた2022年には、無所属で競技を続けざるを得ない状況に追い込まれた。

「トレーニングセンターで練習させていただけていましたし、貯金もあったので、すぐに破産してしまうような状況ではありませんでしたが、それでも生活や遠征の費用を合わせると年間300万円くらいは必要なので、『何年もこのままの状態が続けば、引退せざるを得ないんだろうな……』という不安は感じていました」

 だが、無所属になって半年ほどの月日が流れた2022年10月、宮脇選手に転機が訪れる。

「小さい頃からクイズが好きでしたし、『小学生の問題なら何とかなるんじゃないか……』と思った」という宮脇選手は、番組のホームページから直談判して『クイズ!あなたは小学5年生より賢いの?』への出演権を掴むと、見事に全問正解して賞金300万円を獲得。

「子供の頃から謎解きやクイズが好きで、母に『何か問題出して!』とお願いするのが幼少期の口癖だった」という宮脇選手は、その実力の高さを世に知らしめた。

 その後は三菱電機への所属も決まり、宮脇選手は2024年のパリ五輪では団体戦で銅メダリストとなったが、かつて自身が経験した苦労や同社の副業解禁を受け、新規スポンサーの募集にも乗り出した。

競技の入り口を広げること

「私としては『私個人だけではなく、フェンシング協会のスポンサーも増えてくれたらいいな』と思っています。特に学生は、学費に加えて遠征費も自分で払わなければいけないような状況が続いていて、日本代表に選ばれるくらいの実力を持つ選手でも、資金面では苦労を強いられているんです。まずは大変な状況でプレーしている学生の現状に関心を持っていただき、一人でも多くの皆さんに支援を呼びかけていきたいなと思っています」

 昨年行われたパリ五輪ではメダルラッシュが続き、個人と団体戦を含めて合計5つのメダルを獲得した。晴れてメダリストとなった宮脇選手も、その立場の変化を敏感に感じ取っているようだ。

「私がフェンシング界に一番貢献できるのは、競技の入り口を広げていくことだと思っています。五輪を機にフェンシングに興味を持ってくれた子供達に競技の魅力をお伝えしたり、定期的に行っている講演や『スマートフェンシング』という端末を使った競技体験会を通じて、一人でも多くの皆さんに競技に対する理解を深めてもらえるようにしていかなければならないと思っています」

 自身の使命を感じながらも、3年後のロサンゼルス五輪に向けて歩み始めた宮脇花綸選手の今後からも目が離せない。

 第3回【五輪に行けないまま引退するのかな…「フェンシング界の内田有紀」が“2度の代表落選”“1年の無所属期間”を乗り越えて銅メダルを獲得できた理由】では、宮脇選手が、パリ五輪で銅メダルを獲得するまでに味わった苦悩、そこからどのように立ち直ってきたのか、さらにはこの先に目指すものについて、話を伺った。

ライター・白鳥純一

デイリー新潮編集部

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