「お嬢様学校」から偏差値76「慶應女子高校」に進学 フェンシング銅メダル「宮脇花綸」が明かす「2つの母校」に支えられた競技生活
昨年行われたパリ五輪で計5つのメダルを手にしたフェンシング界の躍進は記憶に新しい。なかでも、銅メダルを手にした女子フルーレチームの一員でもある宮脇花綸(みやわきかりん=28=)選手は、小・中学校の9年間を東洋英和女学院で過ごし、慶應女子高校を経て慶應大学経済学部に進学した才女として知られる。所属先のなかった2022年には「パリ五輪を目指す資金を得るためにクイズ番組に出場し、優勝賞金300万円を獲得して話題となった。「頭脳派フェンサー」とも評される宮脇花綸選手の学生時代に迫った。(全3回のうち第1回)
小学校受験は両親の方が辛そうだった
パリ五輪でメダリストとなり、連日のようにメディアに姿を見せるようになった宮脇選手。フェンシングを始めたのは、彼女が5歳の時に遡る。
「姉が通っていた東京フェンシングスクール(現在は閉校)の送り迎えについていく内に、気がついたら自分も剣を握っていました」
幼少期は「身体を動かすのは好きでしたけど、運動神経はそこまで良い方ではなかった」そうだが、「体格で上回る年上の男子に試合で勝てた嬉しさや、仲の良い同級生と切磋琢磨する楽しさに魅了された」という宮脇選手は徐々に実力を高め、小学校4年生の時には、第19回全国少年フェンシング大会(小学3~4年生の部女子)に出場し、見事に優勝を勝ち取った。
フェンシングを習い始める前には、小学校受験にも挑戦した。
「当時の記憶は何となく残っていて、受験塾にも通っていましたけど、今思うと両親の方が大変な思いをしていたように感じます」という日々を過ごした後に、東洋英和女学院の合格を手にし、入学することとなった。
偏差値76の難関に挑む
「両親は『姉が通っていた慶應幼稚舎に入れたら……』と思っていたようですが、おそらくお絵描きの点数があまり良くなかったせいで、残念ながらご縁がありませんでした。でも、私が入学することになった東洋英和女学院は本当に良い学校で、入学した後は毎日楽しく、かけがえのない日々を過ごさせてもらいました」
宮脇が小学校から9年間過ごした東洋英和女学院は、東京港区の六本木にある女子校で、小学校は1学年あたり約80名。中学では新たに約100名が入学し、高校の募集はない。
「都心にある学校でしたが、校内に一歩足を踏み入れると自然が豊富で、小学校の頃は放課後の校庭で木に登るなど、とにかく活発に遊んでいたことを覚えています。学内で大規模なイベントが行われると、1クラス40人の女子全員が力を合わせて取り組むような雰囲気もありましたし、卒業生は一つのものに熱くなり、みんなで目標を達成した経験を持っているんじゃないかなと感じています」
そう思い出を話す宮脇選手だが、中学3年生だった2012年、フルーレの女子U-17カデットで世界チャンピオンに輝くと、人生の選択を迫られることになる。
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