「お嬢様学校」から偏差値76「慶應女子高校」に進学 フェンシング銅メダル「宮脇花綸」が明かす「2つの母校」に支えられた競技生活
2つの名門の違い
宮脇選手が「どちらの学校も好きでした」と話す2校は、いずれも「名門」と呼ばれ、その歴史も深いが、両者にはそれぞれの良さや違いもあったという。
「東洋英和は私が中学生だったこともあると思いますが、しっかり守られた中で自由に過ごせる環境が整っていて、同じ学校の友人と深い関係を築けるような雰囲気を感じていましたし、遠征で欧州に出向く機会も多いので、幼少期にキリスト教の価値観に触れられたことも今となっては良い経験だったように感じています。一方の慶應は、さまざまな方向に好奇心を持っていて、積極的に外の世界に飛び出し、才能を伸ばしていく友人たちの姿が印象に残っています。例えば、パソコンの知識を持っている子がインターンに熱中していたり、部活動と外部のバンドを掛け持ちしながら過ごしたりだとか……。とにかく行動的な人が多かったせいか、海外遠征の続く私のことも当たり前のように受け入れてくれましたし、とても過ごしやすい場所だったなと思います」
パリ五輪で日本女子フェンシング界初のメダルを手にした宮脇花綸選手の活躍は、2つの母校で育んだ“らしさ”があってこそ成し得たものなのかもしれない。
第2回【海外遠征の「機内でレポート」を書き、暗記科目は「就寝前と起床直後」に復習…フェンシング界の頭脳派「宮脇花輪」が明かす“五輪メダリストの勉強術”】では、宮脇選手が、いかにしてフェンシングと勉強を両立させてきたのか、意外な工夫と時間の使い方を語っている。
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