「お嬢様学校」から偏差値76「慶應女子高校」に進学 フェンシング銅メダル「宮脇花綸」が明かす「2つの母校」に支えられた競技生活

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キャリアを中断しない方が

「ちょうどロンドン五輪(2012年)を終えたタイミングだったこともあって、年上の選手の皆さんがこぞって引退を決断されまして、私は同世代のU-17、U-20世代の大会に加えて、シニアの試合を掛け持ちすることが増えてきたんです。当時はまだフェンシングで五輪を目指す気持ちは正直そこまで強くなかったんですけど、それでも1年の約半分を海外で過ごすような生活をしていましたから、遠征を続けているうちに『もし大学まで競技を続けるのなら、大学受験で選手としてのキャリアを中断しない方が良いのではないか?』と思うようになって、進路や学部選択の幅の広がりやすい大学附属高校の受験を考えるようになりました」

 自身が置かれた境遇の変化を理由に、宮脇選手は偏差値76(2025年・みんなの高校情報)ある慶應女子高校の受験を決めたものの、当時の推薦入試の受験資格は、本人の記憶では中学校全9教科の5段階評価を合わせた45点のうち43以上が必要とのこと。スポーツ等の成績や表彰で加点されることはなかったそうだ。

「その頃は勉強も頑張ってたので、『もしかしたら行けるかもしれない……』と思って受験を決めたんですけど、今よりもAO入試に関する情報は少なかったですし、試験も各教科が混ざった問題が出題されていましたから、やっぱり不安はありました。面接では『なぜ出生率が下がっているのか?』という時事的な質問や、面接官を務められた先生方との雑談が主で、特技の欄に書いたフェンシングについては、そこまで詳しく聞かれなかったような気がします」

母校が2つできますね

 宮脇は「十分な試験対策はできていなかった」中でも見事にその難関をクリアし、合格を勝ち取ったが……。そこに至るまでの心境は複雑なものがあったという。

「慶應に出願するときは、『これまで東洋英和で一緒に過ごしてきたみなさんを裏切ることになるのでは?』という悩みを抱えるようになりまして……。『もしかしたら、あまりいい顔はされないんじゃないか?』とか、『少なくとも、これまでと同じように応援してもらうのは難しくなるかもしれない』と憂いていました。ところが、出願を部長先生に報告すると(東洋英和における校長先生の呼び方)は、私の不安を払拭するように、応援の言葉をくださって、ホッとしました。

 さらに、合格発表後に再び報告に向かったところ、

「『これで宮脇さんには母校が2つできますね』と言って喜んでくださって、私のことを温かく送り出してくださったんですよ。その時のことは今でも胸に深く刻まれていていますし、私の人生において忘れられない言葉の一つで……。先生が私の背中を押してくださったおかげで、母校への思いも深まりましたし、2つの学校でかけがえのない友人と出会うこともできた。先生の後押しがあったおかけで、学生生活がより充実したものになったような気がしているんです」

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