【女性の死刑執行第1号】念入りに化粧をして取調官を誘惑、自ら死化粧をして絞首台へ…毒婦の代名詞「小林カウ」の生き様
だまされていたと知り激怒
色仕掛けで迫ったカウに鎌輔は、妻のウメと別れる手切れ金50万円を貸してくれれば、ウメと別れてあんたと一緒になってもいいと言う。鎌輔にはカウの財力が目当てだったのだ。しかし、しまり屋のカウには50万円も惜しい。30万円で手を打とうとしたが、ウメは50万円を譲らなかった。
「いっそウメを殺ってしまおうか。そうすれば、ビタ一文払わなくてすむ」。鎌輔にそう持ちかけると賛成したが、「自分には殺せない」と言う。そこでカウは、日本閣の雑役をしていた大貫光吉(36歳)に、「手間賃は2万円、うまくいったら抱かしてやる」とこれも色仕掛けでウメ殺害を命じた。
35年2月8日、大貫は一人寝ていたウメの首を麻紐で絞めて殺した。直後に日本閣に乗り込み、女将として采配を振るい始めたカウは、鎌輔からだまされていたことを知って怒り狂う。改築などで200万円を注ぎ込み、自分名義になっているはずの新館が、旧館とともに近々競売にかけられることになっていたのだ。
カウは大貫に、今度は鎌輔の殺害を命ずる。35年の大晦日、カウと大貫は鎌輔の首を絞め、包丁を頸部に刺して殺害した。経営者夫婦が相次いで姿を消した日本閣は、こうしてカウのものとなった。
自ら死化粧を施して絞首台へ
しかし、それも束の間だった。翌36年2月20日、カウと大貫は逮捕された。逮捕後、カウは秀之助の変死についても追及され、当時の愛人、中村と共謀して、青酸カリで毒殺したことを認めた。
だが、その後の公判では、秀之助殺しについては否認に転じる。「わたしはしっぱいばかりして、くやしいくやしいで一生を終わる女でございます。少しはよい所をみていただいて、ごかんべんをおねがいします」(カウ上申書)と命乞いをした彼女だが、41年7月、大貫とともに死刑が確定する。「私は、いったんやろうと思ったら、どんなことでもやりとげる」。生身の女の情念と肉体をぶつけて、がむしゃらに自分の道を切り開こうとした女は、こうして自滅した。
死刑執行は、45年6月11日。自ら死化粧をきれいに施し、従容と絞首台に上ったという。
昭和59年にこの事件をモデルにした映画「天国の駅」が公開された。カウ役は95作目にして初の汚れ役を演じることになる吉永小百合であった。
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