またノックアウト! それでも「田中将大」は「歴代・田中ベストナイン」での評価は高い

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 プロ野球が開幕して1カ月余り。ビールを飲みながらの野球談議が大好物というファンも多いことだろう。

 もっとも、同席者のひいきチームが異なると、気まずいことになったり、そこから口論になったりというのも珍しくない。

 そんな思いをせず、無邪気に野球トークを楽しむネタとして、スポーツライターの広尾晃氏が薦めるのが「ベストナイン」選出という遊びだ。通常、ベストナインといえば、シーズン終了後に活躍した選手をポジション別に並べたものが一般的だが、広尾氏のそれは一味違う。新著『野球の記録で話したい』で試みているのは「名前別ベストナイン」「出身高校別ベストナイン」「出身大学別ベストナイン」。つまり時空を超えたベストナインということになる。

 マニアならばニヤニヤするに違いない、この「遊び」を3回にわたってご紹介しよう。

 1回目の今回は「名前(名字)別ベストナイン」である。同書で取り上げている「田中ベストナイン」「佐藤ベストナイン」「山本ベストナイン」「鈴木ベストナイン」のうち、ここでは「田中ベストナイン」を見てみよう。残念ながら1日の登板でもノックアウトされるなど不調が続いている巨人・田中将大投手の評価はいかに――(以下、『野球の記録で話したい』をもとに抜粋・再構成しました)。【全3回記事の1回目】

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プロ野球は「田中」優勢だった

 日本人の名前(姓、苗字)は、30万もあるとされる。いろいろな研究がされているが、日本人に多い名前のベスト10と、プロ野球で1軍実績がある選手の多い名前ベスト10を並べるとこうなる。「比率」は、日本全体は、総人口の1億2614万人に対する比率。プロ野球では、1試合でも1軍の公式戦に出た選手は7412人を数えるが、このうち外国人の1341人を除いた6071人に対する比率。「苗字由来net」によると日本人全体の1位は佐藤さん、2位は鈴木さん、3位は高橋さん。これに対し、プロ野球は田中、佐藤、山本の順。全体では7位の山本が、プロ野球では3位である。もちろんプロ野球は母数が日本の総人口の約2万分の1だから、数字のブレがあるのは当然だが、筆者はそれだけではないとにらんでいる。

 高校野球の甲子園の勝利数でも、ドラフトでの選手輩出数でも、野球界は「西高東低」だった。今では北海道の駒大苫小牧高や宮城の仙台育英高が甲子園で優勝しているが、高校球界では優勝旗が「白河の関を越える=東北以北にもたらされる」のが長く悲願だった。ただし、その悲願が達成できたのは、この地方の私学強豪校が、全国から「野球留学生」を集めたことも大きいだろう。

 2005年夏優勝の駒大苫小牧高のエース田中将大は兵庫県出身、2022年夏優勝の仙台育英高にも大阪や広島など西日本出身者がいたのだ。

 地球温暖化など情勢の変化はあるにしても、降雪、冬の寒さなど、東、北日本は、西、南日本に比べて依然、ハンデは大きいはずだ。

 姓氏家系の本を紐解くと佐藤氏のルーツは藤原摂関家だとされるが、源義経の従者だった佐藤継信・佐藤忠信兄弟の子孫が東北を根拠に勢力を拡大。佐藤氏は、東日本、北日本に多い名前なのだ。

 これに対して田中氏は近江国高島郡田中村がルーツだとされ、西日本に多い名前だ。さらに、山本氏は紀伊国の国人が起源とされ、これまた西日本に多い。プロ野球で田中が佐藤を押さえて1位で、3位に山本が肉薄しているのは、西日本にルーツを持つ選手が多いからではないか。この話をすると少なくとも「居酒屋」では「なるほどね」と言ってもらえる。ま、その程度の根拠ではあるが。

田中らしさとは

 では、上位の名前でベストナインを組んでみよう。不思議なことに「これは田中らしいな」「山本はやっぱりこうだな」と思えるような「キャラクター」が浮かんでくるから面白い。

 2024年、京セラドームで元フジテレビアナウンサーの田中大貴さんに話を聞いたときに、エレベーターに田中賢介氏が乗ってきた。おとなしくていかにも「堅実な内野手」という感じだった。田中姓の選手はそういう実直そうなタイプが多い。遊撃手、二塁手がやたら多くて一塁手、外野手が少ない。ちなみに田中大貴さんは慶應義塾大で本塁打王もとった強打の一塁手だったが、プロには行かなかった。

 ベストナインでは、本来遊撃手の田中広輔を三塁に、二塁手の田中浩康を外野にせざるを得なかった。4番は田中唯一の2000本安打、田中幸雄で決まりだ。同時に、田中姓では唯一、1995年に打点王のタイトルを取っている。田中久寿男は、西鉄の中軸を打ち、のちに巨人でONの後ろの5番を打った。田中守は阪急の控えの外野手。

 田中義雄はハワイ出身の日系2世、戦前のタイガースでカイザー田中と言われた強打の捕手だったが一塁を守ったこともある。後に大阪(阪神)の監督となる。長嶋茂雄がサヨナラ本塁打を打った1959年6月の天覧試合の時の大阪の監督だった。田中チームの監督は、この田中義雄だろう。

 田中和基は、楽天で新人王を取った外野手。田中尊は、長谷川良平、外木場義郎など広島のエース級の球を受けた名捕手。控えの田中俊太は田中広輔の弟だ。こう見渡しても田中姓は実直な内野手が多く、スラッガータイプはほとんどいない印象だ。

 一方、近年「投手田中」の躍進が目覚ましい。エースは田中将大。2013年の「24勝0敗」は空前の記録だ。2024年オフに楽天から巨人への移籍が決まった。田中勉、田中(武智姓の時代もあり)文雄はパ・リーグ弱小チームのエースだった。田中調は東映の左腕先発。田中富生は日ハム、中日で活躍。

 救援陣では何と言っても現役の田中正義だ。創価大から5球団が競合してソフトバンクに入るも鳴かず飛ばず。しかし2023年、近藤健介の人的補償として日ハムに移籍してからは、新庄剛志監督の信頼を得てクローザーとして活躍している。田中健二朗はDeNAのセットアッパーとして活躍した左腕。

3人の田中幸雄

 ところで田中姓には「田中幸雄」が3人いる。2000本安打を打った内野手の幸雄と、救援投手だった幸雄は、ともに日本ハムで活躍。それに関西大出で戦前から戦後にかけて阪急、大陽などで三塁手として活躍した幸雄だ(この選手は幸男の時代が長かったが)。

 日ハムの2人の「田中幸雄」は1986年から89年までチームメイト。このため投手の田中幸雄を「田中幸」、内野手の田中幸雄を「田中雄」と表記して区別していた。またこの時期の日ハムには投手の田中富生もいた。

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 それぞれの選手の成績などは別表を参照いただきたい。また、あくまでも広尾氏選出のものなので「俺の田中ベストナイン」を組むのも自由である。

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