2026年W杯を“39歳”で迎える「長友佑都」は代表に必要な選手か? 「岡田」「トルシエ」「ジーコ」歴代監督を最後まで悩ませた“ベテラン起用”の成否

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チーム作りに失敗したジーコ監督

 続く2006年ドイツ大会はジーコ監督が代表チームを率いた。中村俊も順当に選出され、中田英、小野に加え稲本潤一、小笠原満男、遠藤保仁ら錚錚たるメンバーが中盤に揃い、史上最強と称された。

 しかしジーコ監督のチーム作り、練習の基本は、ひたすら紅白戦のみだった。そして得点力不足に直面すると、これも基本的なシュート練習を繰り返すだけだった。

 こうしたチーム作りは、チームのコンビネーションを高める効果がある一方、サブ組のモチベーションを大いに下げる弊害もあった。それが如実に表れたのがベースキャンプにしているボン入りしてからの練習後の風景だった。

 サブ組の選手はピッチに座り込んで談笑している。きわめて牧歌的であり、のどかな風景であると同時に、彼らからは試合に出られないだろうという諦念に近い気持ちを感じざるを得なかった。

 そして結果はオーストラリア、ブラジルに逆転負けを喫するなど1分け2敗でドイツを後にした。

 10年南ア大会は、イヴィチャ・オシム監督が病に倒れ、急きょ岡田監督がチームを指揮することになったものの、大会直前の試合でもチーム状況は好転せず、不安を抱えたままの南ア入りだった。

 すでに中田英はドイツ大会で代表からの引退を表明。中村俊は原因不明の左足首痛に悩まされ、事前キャンプ地のスイス・サースフェーでも別メニューの練習を余儀なくされた。

裏方に徹した川口能活の献身

 ただ、この時のチームにはW杯最多4度目の出場となるGKの川口能活と楢崎正剛のベテラン2人がいた。

 すでに正GKの座には川島永嗣が君臨していた。川口と楢崎が試合に出場することは、緊急事態が起こらない限りない。

 にもかかわらず、川口は練習後のボールや練習機器をチームバスに運ぶなど、裏方に徹してチームを支えた。そんな川口に声をかけると、いつもの柔和な笑顔で自分自身の調子や代表の雰囲気はとてもいいいと話していた。

 ボール運びなどはオシム前監督が初めて代表に採り入れたスタイルでもあるが、ベテランのバックアップもあり日本は02年日韓大会以来となるベスト16に勝ち進んだ。

 ところが4年後のブラジルW杯では、アルベルト・ザッケローニ監督が率いる日本代表は初戦の躓きが響いてグループリーグ敗退を余儀なくされた。

 中心選手の長谷部誠と本田圭佑が負傷からの回復が遅れ、大会直前になっても負荷をかけた練習はできなかった。

 攻撃陣には厳しいポジション争いを勝ち抜いた清武弘嗣、香川真司、齋藤学、柿谷曜一朗らがいた。しかし初戦でコートジボワールに1-2と逆転負けを喫したことで歯車は狂った。

 続くギリシャ戦はこれまで通りオープンな試合を挑むか、守備を固めてカウンターを狙うかでチームの意見は二分したという。

 さらに3試合を通じてザッケローニ監督は若手アタッカーを積極的に起用することはなく、岡崎慎司や香川をサイドで起用し続けた。

 その結果、ギリシャ戦こそ引き分けたもののコロンビアに大敗してグループリーグ敗退となった。

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