「生前も死後もほとんど注目されなかった画家」の作品が熱視線を浴びる最大の理由とは?

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 20世紀初頭のスウェーデンに、カンディンスキーやモンドリアンに先駆け、膨大な数の抽象絵画を制作していた画家がいた。近年、欧米を中心に世界の美術界を驚嘆させている、その作品約140点が、「ヒルマ・アフ・クリント展」(開催中・東京国立近代美術館)のために日本初上陸。

 さらに、展覧会に合わせて、謎多き画家の素顔に迫った映画「見えるもの、その先に ヒルマ・アフ・クリントの世界」が再上映、雑誌「芸術新潮」(4月号)でも特集されるなど、にわかに国内でのヒルマ・ブームが盛り上がっているのだ。

 存命中も死後も限られた人しか知らなかった画家がなぜいまここまで注目を集めているのか? 彼女は一体何者で、作品には何が描かれている?

 本展を企画した東京国立近代美術館・美術課長で学芸員の三輪健仁氏にヒルマ・アフ・クリントの人となりと作品の魅力を聞いた。

※本記事は、「芸術新潮」2025年1月増刊号より一部抜粋/編集したものです。

Q.ヒルマ・アフ・クリントってどんな人?

 20世紀前半のスウェーデンで人知れず、膨大な数の抽象絵画を制作していた画家です。アカデミックな美術教育を受け、肖像画などを手掛ける職業画家として活躍していましたが、10代から交霊会に参加するなど、神秘主義ほかの秘教思想や心霊主義(スピリチュアリズム)に傾倒。やがて霊的存在から啓示を受け、抽象的表現による絵画制作を開始します。生涯に1300点以上の作品を遺しましたが、注文仕事を除いたそのほとんどは、生前一般に公開されませんでした。

 大きな話題となったのが、2018~19年にグッゲンハイム美術館で開催された、アメリカ初となる大規模な個展です。私は出張先のニューヨークで、偶然この展覧会を見たのですが、一鑑賞者として大変な衝撃を受けました。コンテンポラリーアートと言われたら信じてしまいそうな、時代を超える作品のアクチュアリティ。縦3メートル超というサイズ感――20世紀初頭の絵画作品としては異常な大きさです。さらに同時代の絵画ではあまり見られない、パステルカラーの多用。驚きのあまり、その場で出品作全点を撮影してしまいました(笑)。ヒルマ・アフ・クリントは、こうして21世紀に入ってから突如人々に「発見」された画家なのです。*

(註)
*ヒルマ・アフ・クリントが初めてまとまって紹介されたのは、1986年にロサンゼルス・カウンティ美術館で開催されたグループ展「芸術における霊的なもの:抽象絵画 1890-1985(The Spiritual in Art: Abstract Painting 1890-1985)」であるが、当時これほどの反響は得られなかった。

Q.抽象絵画のパイオニアって本当?

A
 グッゲンハイムの個展より以前、2013年には、史上初となる大規模な個展がヨーロッパを巡回しました。そうして2010年代には、アフ・クリントの再評価が進んだのですが、そこで浮上したのが、彼女こそが、抽象絵画の真のパイオニアでは?という議論です。彼女が本格的に抽象絵画に取り組んだのが、1906年頃からですから、なるほどその創始者といわれるカンディンスキーの1910年、モンドリアンの1912年頃よりも早い。しかし、私はこうした誰が一番か?といった問いは不毛だと思っています。

 アフ・クリントにとって絵画制作とは、自己表現というより、自身が媒介となり、霊的存在から受け取ったメッセージを表すものでした。いわば眼に見えない実在の知覚こそが、彼女の抽象表現の核心です。アフ・クリント、カンディンスキー、モンドリアン、それぞれが抽象表現を採用した理由はまったく同じではありません。
 
 また、抽象表現といっても、たとえば彼女の絵には、植物や生物のような具象的ともいえるモティーフがたびたび描かれていることに気づかれるでしょう。こういったモティーフもその象徴的な働きによって、やはり肉眼では捉えられないような存在の把握へと、見る人々を導こうとするのです。
 
 こうした抽象的・象徴的な形象や、目に鮮やかな色彩などが、観る人にとっての取り付く島となり、美術史的文脈を越えて人々を魅了する作品の裾野の広さとなっている――といったことも感じます。

Q.彼女が熱中したという「心霊主義(スピリチュアリズム)」とは?

A
 ざっくりいうと、人は肉体と霊魂からなり、肉体は消滅しても霊魂は存在しつづけ、現世へ働きかけてくる――という思想です。少々訝しく感じる方もあるかもしれませんが、アフ・クリントの心霊主義(スピリチュアリズム)への傾倒に関して、必ず言っておかなくてはならないことがあります。それは、19世紀末において、心霊主義(スピリチュアリズム)は科学と非常に近いところにあったということです。X線やラジウムなど目に見えない世界が発見された時代。少なからぬ科学者や芸術家たちが、肉眼では捉えることのできない世界に関心を抱き、交霊術などにも取り組んでいました。
 
 彼女も30代で女友だち4人とともに「5人」という交霊会のサークルを組み、メッセージを自動書記で受け取っていたことが、その後の独自の絵画表現へと繋がってゆきます。神秘主義思想を背景とした、ルドルフ・シュタイナーの提唱する人智学にも共鳴し、彼に作品を見せ、アドバイスをもらったりもしています。
 
 また彼女が遺したノート類や植物デッサンに基づく作品などの記載には、百科事典のような厳密さがあり、ある種の「科学的」創作態度が窺えることも付言しておきましょう。

Q.作品の見方をおしえてください

A
 鑑賞のヒントとして、その作品には、一体何が描かれているかをお話ししましょう。1906~15年に制作された「神殿のための絵画」は複数の連作からなる、総数193点の作品群です。このうち、たとえば10点組の連作〈10の最大物〉は、それぞれ幼年期、青年期、成人期、老年期をテーマとし、人間が生まれてから死ぬまでの成長のサイクルを示しています。そこには、「生命や形態が発生する原理」のようなものが描かれていると考えられます。たとえば《10の最大物、グループIV、No.7、成人期》の画面中央右や下方にある白や黒の描線は、いままさに発生しつつある文字のように見えませんか。実際に作品を目の前にすれば、パステルカラーの背景からさまざまな形がふわふわと浮かび上がってくるようで、「生まれいずる形」のイリュージョンも体感できます。

 アフ・クリントは、生命や天体のサイクルに強い関心を持ち、電気や光線のような、アンモナイトのような、スパイラルや円環型の形状を繰り返し描いています。色彩についても、たとえば青は女性性、黄は男性性など、多様な意味を持たせていたようで、後年は、水彩による色だけの表現などにも挑戦しています。

 そのすべてを解読することは難しいかもしれませんが、まずはこうした点を念頭において鑑賞してみると自分なりの発見があるかもしれません。

【展覧会INFO】
ヒルマ・アフ・クリント展
2025年3月4日~6月15日
東京国立近代美術館
▼代表的作品群「神殿のための絵画」を中心に、すべて初来日となる約140点を展観。時代別の章構成で、アカデミー在学中の作品から、晩年の水彩画まで、ノートやスケッチなどもあわせ、その画業の全貌を見せる。

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