まるで“神のメモ書き” ヒルマ・アフ・クリントに世界が気づいた理由とは
ヒルマ・アフ・クリント(1862~1944年)のアジア初となる大回顧展が東京国立近代美術館で開催されている。カンディンスキーやモンドリアンら同時代のアーティストに先駆け、抽象絵画を創案した画家として近年再評価が高まっている彼女は、なぜ没後半世紀を過ぎてから注目されるようになったのか? そしてその魅力とは?
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【作品をみる】幼年期から老年期、白鳥や祭壇画まで。ヒルマ・アフ・クリントの多彩な作品群
ヒルマ・アフ・クリントの絵はまるで、命を誕生させるために神様が残したメモ書きのようである。これを読み解けば、神様が人に託した意図も見えるのではないか、と思えてくるほどだ。細部にそのヒントが散らばっているような気がして目を走らせる。見れば見るほど細部まで、いや細部こそが面白くなってくる。
全体を見れば、シンメトリーのようでシンメトリーではない。完璧に収まらない「ほつれだし」がどこかしらにあり、次の展開へ成長したがってまるでウズウズしているようなのだ。
ところで、ヒルマ・アフ・クリントって誰? 「知らない」「初めて出会う」これこそが今、東京国立近代美術館で開催されている「ヒルマ・アフ・クリント展」の醍醐味でもある。
なぜなら、アフ・クリントはただいま世界で絶賛ブレイク中、世界中の美術館からひっぱりだこなのだ。そのアフ・クリント作品の初来日の大規模展、ときているのだから。
グッケンハイム美術館で最高記録
アフ・クリントは今からざっくり100年前のスウェーデンに暮らし、スピリチュアリズムに軸足を置きながら活動した女性の画家である。圧倒的な画力を身につけたアフ・クリントは約1300点の作品と2万6000ページ超となるノートを残して、自ら長い潜伏期間に入っていった。つまり、死後20年は作品を公開しないようにと自ら言い残して約80年前に亡くなった、と言い伝えられているのだ。
そんなアフ・クリントの作品が驚きをもって受け入れられ始めたのはほんの10年ほど前から。そしてその存在を強烈に世の中に刻み込んだのが、ニューヨークのグッゲンハイム美術館で開催された7年前の大回顧展だった。この展覧会の入館者数は60万人超で、これは同館開館以来の最高記録だそうである。
一体アフ・クリントに何が起きているのだろうか?
といっても、アフ・クリントは何も変わっていない。世の中の目が変わってきたのである。
アート業界がアフ・クリントの絵を「カンディンスキーよりも先に抽象画を描き始めていた」と捉え始め、「アフ・クリントこそが抽象画の先駆者で、美術史が塗り替えられるのでは」とソワソワし始めているのである。そしてアフ・クリントは女性である。今でこそ「あ、女性なのね」というぐらいかもしれないが、当時は女性が男性と同等に社会で生きてゆくことが難しい時代だった。
アフ・クリントと同時代を生きた女性にマリー・キュリーがいるが、彼女も世の中からの誹謗中傷を浴びながら生きた一人だった。家庭以外に才能を発揮して生きていく困難さの中で、信念を貫きコツコツと独自の道を進んでいた一人の女性としてのアフ・クリントの姿もまた、人々に強烈なインパクトを与えたのかもしれない。しかもアフ・クリントの活動の場はスウェーデン。パリやミュンヘンといった文化の中心地とかけ離れた地であることの意外性も人々の興味をそそる。そして何よりもアフ・クリントの創作の根源にあるのが、「スピリチュアリズム」と「秘教的思想」である。いくつもの「そんなことある?」が掛け合わさって、今まで見たことのない世界観が構築され、そして世の中の目がちょうどそれらのことを肯定的な驚きで受け入れたグッゲンハイム美術館の回顧展だったのだ。
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