NHK大河「べらぼう」が深掘りする吉原の女郎 テレビからは見えないつらすぎる生活

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若くして命を落とさざるをえない環境

 そのうえ、ほとんどの女郎は性病のリスクにさらされ、実際、罹患率は100%に近かったと見られている。そうでなくても、これだけ不健康な生活をしていれば、免疫力もかなり落ちていたはずだ。

 江戸の廓の裏側を実地調査した往年の歴史学者、西山松之助の著書『くるわ』には、「投げ込み寺」として知られた浄閑寺の過去帳よれば、この寺に遺体が運ばれた女郎の享年は平均22・7歳だった、と記されている。むろん、年季明けを迎える女郎も少なくなかったが、それを待たずに命を落とす女郎も無数にいたということである。

 こうした状況は蔦重の時代から下って、さらにひどくなったようだ。松平定信の寛政の改革や水野忠邦の天保の改革で綱紀粛正が強いられ、岡場所と呼ばれた非公認の遊里が廃され、女郎らが吉原に送られたうえ、天保の大飢饉で疲弊した農村からも、売られた娘が大量に流入したからだ。

 田沼時代には2,000人余りだった吉原の女郎は、天保年間(1830~44)に4,000人台にまで膨張。環境はさらに劣悪になり、放火が増えた。天保年間をはさんで文化文政時代(1804~30)から慶応2年(1866)まで、吉原は10回も全焼し、いずれも女郎の付け火とされている。

『べらぼう』で蔦重は、「吉原を女郎たちにとって少しでもいいところに」と主張して頑張っているが、それも虚しく、女郎はつらい日々を送っていたのである。

香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。

デイリー新潮編集部

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