NHK大河「べらぼう」が深掘りする吉原の女郎 テレビからは見えないつらすぎる生活
女郎たちを閉じ込めるための場所
吉原とは周知のとおり遊廓だった。それは一言でいえば、「春を売る」女性たちを集めた場所だった。そこを深掘りするのだから、今年のNHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』は大胆かつ異色だが、歴史ドラマとしても近年になく見応えがある。このため当然のように、吉原とそこで働いていた女郎たちに注目が集まっている。
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吉原は江戸で唯一、幕府に公認されていた遊郭で、文化人たちの交流の場であり、新しい文化の発信地でもあった。だが、それ以前に、女郎たちが命の危険と隣り合わせで働く場所だった。では、女郎たちの暮らしとは、その1日とはどんなものだったのか。小芝風花が演じた花魁「瀬川」が話題になったいま、あらためて確認しておいても損はない。
まず、吉原はどんな場所だったかだが、東西327メートル、南北245メートルの長方形の町で、周囲には幅2間(約3.6メートル)の「お歯黒どぶ」という堀がめぐり、さらに忍び返しがついた黒板塀で囲まれていた。唯一の出入り口は大門で、その前には左側に町奉行所の与力や同心、岡っ引きが常駐する番所が、右側に吉原から逃げ出す女郎に目を光らせる会所があった。
女郎の出入りを厳重に監視していたのも、女郎には自由意志が認められていなかったからだ。というのも吉原の女郎は基本的に、親の借金の担保だった。表向きは奉公とされているが、事実上、暮らしに困った親が娘を売り渡していた。だから、客が年季証文を高額で買いとって身請けしてくれないかぎり、客をとるようになってから10年は「年季奉公」する必要があった。その間、女郎は原則、堀の外に出ることが許されなかった。つまり、彼女たちを閉じ込めるための堀であり塀だったのだ。
わずかな睡眠時間で1日2食
では、そこでの1日はどんなものだったのか。女郎はだいたい午前10時ごろまでに起きて、1日がはじまった。だが、朝がゆっくりだなどと思ったら大間違いで、午前6時ごろから夜をともにした客を見送り、その後一眠りして起きるのが10時ごろだった。しかも、客と一緒にいるあいだは、客は眠っても女郎は眠ってはいけなかったから、睡眠時間はごく短かった。
正午ごろまでは比較的自由だったが、昼以降は昼見世があるから、ここで身支度をする必要がある。朝風呂に入ったり、髪を整えてもらったりした。この時間に食事もしたが、事実上、朝食は抜きでいきなり昼食である。当時、一般には1日3食が定着していたが、女郎は原則、1日2食に甘んじざるをえなかった。
その後、吉原の営業がはじまり、正午ごろから午後4時ごろまで昼見世だった。ただし昼の客は、参勤交代で江戸に出てきた諸藩の「勤番武士」などかぎられており(彼らは門限があって夜遊びができなかった)、さほど混雑しなかったので、張見世(客を待つ道路に面した格子つきの部屋)に並んだとしても、比較的のんびりすごせることもあったという。
昼見世で客がつかなかった女郎は、仲間と雑談したり、双六や花札をしたり、でなければ客への手紙を書いたり、あるいは毛の処理をしたりした。午後4時ごろに昼見世が終わると、2時間ほどは自由時間だったが、あまり気を抜ける時間ではなかった。
夕食を摂る時間はここしかなかったし、休息をしながら、1日の本番というべき夜見世に向けてしっかり準備をする必要があった。蔦重こと蔦屋重三郎のような貸本屋から本を借りたり、呉服屋や小間物屋の相手をしたりするのもこの時間で、そうしながら午後6時ごろからの夜見世に備えた。
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