北京五輪“痛恨の落球”を悔やむ「GG佐藤」に「お前は勝利者だ」…恩師「ノムさん」の深すぎる言葉で「エラーがあってよかったな」と思えるようになるまで
小学受験の弊害
だが、ときには子育ての方向性で、夫婦間で意見が食い違うこともあったそう。その一つが「妻の意向で受験を決めた」小学校受験だ。
本番前の模擬面接では、佐藤氏が受験校の名前を言い間違え、予備校の講師から「お子さんの足を引っ張らないで下さい」と本気で怒られたこともあったそう。本番では晴れて合格を手にし、「佐藤氏らしい一幕だった」という笑い話で事なきを得たが……。昨今の子供を取り巻く環境について、佐藤氏は複雑な胸中も口にする。
「子供たちがまだ幼い頃の受験は、親の意向が入りすぎているような気がしていて……。僕は失敗を通して学ぶこともあると思っているので、絶対に失敗しないように大人が補助して、学びの可能性を排除してしまうことに内心は不安を感じているんです。最近は、他人を傷つけない社会になりつつありますが、もしかしたら今の時代こそ、その対極にある野村沙知代さんのような人材が求められているのかもしれませんね」と、中学時代にプレーした港東ムースのオーナーで「世の中にある理不尽さのすべてを教えてもらった」と話す沙知代氏の名前を挙げて、昨今の社会状況に疑問を投げかけた。
北京五輪のエラーがあって良かった
「すべての答えは自分の心の中にあると思っている」と話す佐藤氏は、現役時代から今に至るまで、自分自身と向き合う時間を大切にしてきたという。何か気に留まったことがあるとすぐにペンを走らせ、日々の生活で感じた他愛もないことや、周囲への感謝の思い、さらには自分自身が目指す目標などを書き記し、その後の学びとしてきた。
だが、佐藤氏が自分の人生と向き合うのが嫌になってしまったタイミングが、人生で2回ある。その一つが、前年の活躍が認められて代表メンバー入りを果たした2008年の北京五輪だ。星野仙一監督が率いる日本代表に選出された佐藤氏は、慣れない左翼手を任されるも、準決勝の韓国戦と3位決定戦で計3失策を喫し、メダルを逃した責任を背負うことに。大会後にはSNS等で多くの誹謗中傷に晒された。
「99個の素晴らしい言葉と、たった1つの悪口を言われたら、どうしても目立つマイナスの言葉に引き寄せられてしまうので、一時は自分が消えてしまいたいくらいに落ち込んだこともありました」と当時の辛い日々を振り返るが、それでも翌年の2009年には打率2割9分1厘、25本塁打、83打点の活躍をマークし、改めて実力を示した。
「目の前のことに一生懸命向き合っているうちに、だんだん少し気持ちに余裕も出てきて、過去の自分にも向き合えるようになりました」
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