宅建に測量士補、保育士まで…引退から11年「GG佐藤」が難関資格に挑み続ける「最大の理由」とは
意識が朦朧としながら
中でも「残された人生を幸せに過ごすヒントが見つかれば……」という思いで参加した伊勢神宮の修行合宿では、真冬の五十鈴川に入る水行に挑戦し、深い学びがあったという。
「死にそうなくらいの寒さの中で、意識が朦朧としながら水に打たれているときに思い浮かんだのは、家族の顔や『家族には幸せになってほしい』とか『家族のためにこれからも頑張ろう』といった僕自身の思いでした。確かに表向きには辛い思いをしましたけども、極限の環境で自分自身と向き合う経験は、僕の人生の指針や、自分の大切なものを見つける貴重な時間になりました」
現在の佐藤氏は46歳。孔子が「天命を知る」と表現した50歳まで、あと4年に迫った。
引退後の11年間を「自分がやるべき何かを探し続けてきた期間だった」と振り返る佐藤氏がこれから目指すのは、「自身が好きなことに挑戦を続けつつ、とことん幸せを追求する人生」だ。
一見するとやや利己的に見える目標だが、その背景にあるのは、中学生時代にプレーした港東ムースで耳にした野村克也氏の言葉だ。
何のために生きるのか
「僕は野村沙知代さんがオーナーを務める野球チームで、中学時代を過ごしました。ときどき野村(克也)さんも僕らの練習に来てくださって、僕らの前で“金を残して三流、名を残して二流、人を残して一流だ。わしは社会に必要される人材を多く育てることが使命だと思っている”と、お馴染みになった座右の銘を話してくださったんです。当時は意味がわからずに、ただポカンとしながら聞いていましたが、その時の記憶が忘れられなくて……。ずっとその言葉の意味を考えながら、これまでの人生を過ごしてきたんですよ」
そして、佐藤氏が「誰かに何かを与えられる人物になるにはどうすれば良いか?」を考え抜いた末に導き出した答えが、「自分自身が幸せに過ごし続けること」だったという。
「他者に良い影響を及ぼし、秘めた可能性を信じ抜くためには、まずは自分自身が光り輝いていなければいけないなと思っていて。その一番の近道は、僕自身が幸せを感じながら挑戦を続けていくことなのかなと気付かされました。最近は『自分の果たすべき使命』とか『何のために生きるのか』といった哲学的なことに興味があるので、それらを追求して学びを深められたらなと思っているんです」
プロ野球4球団を率い、歴代5位の通算1565勝を記録した名将の教えは、野村氏がこの世を去って5年が過ぎようとしている今も、“教え子”の人生とともに生き続けている。
第2回【北京五輪“痛恨の落球”を悔やむ「GG佐藤」に「お前は勝利者だ」…恩師「ノムさん」の深すぎる言葉で「エラーがあってよかったな」と思えるようになるまで】では、G G佐藤氏が、北京五輪でのエラーを、前向きに捉えるきっかけとなった野村克也氏の言葉などについて語っている。