まるで“神のメモ書き” ヒルマ・アフ・クリントに世界が気づいた理由とは

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財団に飛び込みで連絡

 そんなグッゲンハイム美術館にふらりと足を運んだのが、三輪健仁氏(東京国立近代美術館・美術課長)だった。

「その時ちょうど他の仕事でニューヨークに来ていて、たまたまそこでアフ・クリントの作品と出会ったのです。だからこそ、かもしれませんがアフ・クリントの作品を見てとても驚きましたし興奮しました。20年以上学芸員をしていると、いろんな作家や作品に出会ってきているので、悲しいかな、作品を見て驚くようなことはそうそうなくなっているんですね。でも、アフ・クリントの作品を見た時には、かなり興奮しました」

 日本でも展覧会、という形が可能だろうか、と三輪氏はコツコツと準備を進めていった。アフ・クリントがヨーロッパやアメリカでブレイクしているといってもまだまだ日本では無名に近い状態。

「予算確保などの現実的な計画はさておいて、とにかくまずアフ・クリントの作品の管理をしているヒルマ・アフ・クリント財団に飛び込みで連絡をしました」

 グッゲンハイム美術館で三輪氏がアフ・クリントと出会ってから、2年後のことだった。そしてこれが初めての日本からの展覧会オファーとなったのだった。

美術課長というお仕事

 しかし三輪氏の情熱は静かな印象である。「日本で初」であることに心躍らせている風でもなく、そして「アフ・クリントこそが抽象画の先駆者か?」ということに興奮しているようにも見えない。ただヒルマ・アフ・クリントの作品を喜び、一人の作家の歩んできた道に深い敬意を持っているように見える。今ブレイクしているアフ・クリントがいっときもてはやされる人ではなく、この先も長く人々に出会われてゆく作家であることを願っているようにも見える。

「今の私は学芸員なりたての頃のように、展覧会をとにかくやりたい! という時期ではありません。自分の残りのキャリアを考えると、展覧会に関わるならば本当に自分がやりがいを感じられるこれぞ、というものだけにしたいというところがあります」

 笑いながら話す三輪氏にとって、実際これが7年ぶりに担当する企画展になる。三輪氏は現在収蔵品の部門を担当しており、美術課長として作品の収集や国内外からの作品貸し出し作業に力を注いでいる。

「美術館の仕事は、実はこういった外からは見えづらいところがとても大事で、また労力がとてもかかるんです」

 そんな三輪氏が生涯の友に出会ったような喜びでアフ・クリントを迎え、そして展覧会という形で日本に紹介できたことは、アフ・クリントにとっても、そして日本にとっても喜ばしいことに思える。

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