新緑の季節に訪れたい穴場の城ランキング 3位は江戸城、2位は鳥取城、1位は?

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『べらぼう』の重要人物、松平定信の居城

 第6位は標高430メートルの山上に天守が現存する備中松山城(岡山県高梁市)。築城は鎌倉時代にさかのぼり、江戸時代にも改修が続けられた。寛永19年(1642)に水谷勝隆が入城。2代目の水谷勝宗が天和元年(1681)から城の大改修に取りかかり、現存する天守や二重櫓はこのときに建てられたようだ。

 江戸時代としては異例の山城だったため、山上の建物は払下げになりながら撤去に費用がかかるので放置され、それが幸いして天守や櫓がいまに残った。

 自然の岩盤も利用して築かれた石垣や現存する土塀も見ものだし、2重2階の天守も、小さいながら屋根と壁の構成が複雑な凝った意匠が格調高い。駐車場から山頂までそれなりに歩くが道はよく整備され、新緑の季節は気持ちいい。

 第5位白河小峰城(福島県白河市)。盛岡城、会津若松城とともに「東北の石造りの三名城」と呼ばれるこの城は、慶応4年(1868)閏4月から7月、奥羽列藩同盟と新政府軍の戦いの舞台となり、建造物はみな消失してしまった。しかし、天守の代用とされた三階御櫓は平成3年(1991)、白河市政40周年を記念して木造の伝統工法で復元された。

 続いて平成6年(1994)には、本丸の正門で三重御櫓へと連続する前御門も復元された。また、2段重ねの石垣も、水堀の向こうに眺めると軍艦のように壮観だ。石垣の総量はおそらく東北ナンバーワン。平成23年(2011)の東日本大震災では10カ所にわたって崩落したが、すべてていねいに積み直された。

 この城が今年注目される理由にはもう一つある。NHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』の重要人物、松平定信の居城だったのだ。

すべてが異次元の天下人の城

 第4位岡城(大分県竹田市)。滝廉太郎は少年時代を竹田ですごし、岡城をイメージして「荒城の月」を作曲したといわれる。標高325メートル、比高96メートルの段丘上に築かれ、切り立った断崖絶壁に囲まれ、そびえ立つ石垣で固められている。かつて石垣上に建ち並んでいた櫓や塀はないが、絶壁上に累々と連なる高石垣は壮大で、いまも周囲の自然のなかで強烈な存在感を放つ。

 この城を総石垣の近世城郭として整備したのは、文禄3年(1594)に入封した中川秀成で、以後、明治を迎えるまで270年以上、中川氏が城主を務めた。

 岡城は断崖絶壁の城なのに、石垣の端に柵がもうけられておらず、石垣の美しさがいっそう強調される。危険だと思うかもしれないが、落ちたら危ないとわかるからみな気をつける。これはヨーロッパの史跡と共通する考え方で、私は支持したい。そして、この季節が歩きやすくて美しい。

 第3位は日本でもっとも広大な江戸城(東京都千代田区)。かつての本丸、二の丸、三の丸で、一般公開されている皇居東御苑を歩くことを勧める。大手門、平川門、北詰橋門の3カ所から入ることができ、大手門と北詰橋門は高麗門が、平川門には櫓門をふくめた枡形全体が現存する。ほかにも、天守の焼失後はその代用とされた3重の富士見櫓や富士見多門、3つの番所なども現存する。

 それらの建造物はいずれも、ほかの城にくらべて異様なほど大きい。幕府の権威がスケールによって示されたのだ。石垣等も同様で、たとえば二の丸から本丸に向かう正門だった中の門の石垣は、透間なく5段に積まれて高さは約6メートル。一つひとつの築石がいかに大きいかがわかるだろう。しかも、巨石の大半は瀬戸内から運ばれている。

 東西約41メートル、南北約45メートル、高さ約11メートルの天守台のスケールも途方もない。また、天守台の裏の北詰橋門から外を眺めれば、高さ20メートル前後の壮大な石垣が屏風折れを重ねながら550メートルも連なる。この季節、穏やかな風に吹かれながら、天下人の城のスケールを体感してはどうだろう。

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