「自殺実況テープ」は都市伝説ではなかった…“絶命までの音声”を聞いて記事化したジャーナリストの告白「このテープは仕事でなければ絶対に聞きません」
「理想的な家庭」のウラで
A氏は大手レコード会社の元社員で、事件の3年前に独立。都内でクラシック音楽を専門に扱うソフト制作会社を経営していた。妻は大学時代の同級生で、娘は名門女子大の4年生。大手企業に就職が決まっていた。一見、理想的な家庭に思えるかもしれない。しかし、A氏の会社は“火の車”だった。
〈JR御茶ノ水駅前のマンション二部屋を月二十四万で借りて事務所を構え、ベンツを乗り回す毎日。だが、市場の限られるクラシック音楽で、大きなビジネスが出来るはずもなく、直に運転資金にも事欠くようになり、借金を重ねた。 そして三年、 すべては破綻した〉(新潮45編『殺人者はそこにいる』より)
借金は膨れ上がり、その額2800万円に――。妻と娘を殺害したのは、第一回目の返済日だった。A氏はその後、わずかに残っていた預金を解約し、当時レンタル契約していたベンツで家を出て東京・神田、名古屋、奈良など各地を転々とする。そして、各地でそのテープに肉声を記録していた。
まるで家族旅行の最中のような
「録音をして、その都度止めて、また続けて録音して……という形のテープでした。もちろん、最後の自殺の様子が録音されている部分では、ものすごく大きな声になるのですが、最初のほうは実に淡々とした口調。奈良で一度、自殺を図るも、ついに果たせなかった時の様子を語るときは心から悔やんでいる様子でした。ただ、それまではどことなく旅を楽しんでいるかのような印象なんです」
実際、A氏は次のような言葉をテープに吹き込んでいたという。まるで家族3人で旅行している最中のようである。
〈おれとして出来ることを、せめてひとつ……死ぬのはいつでも出来ると……あんたたちの行きたいと思ったところを、時間の許す限りで回ってみようと、思ったわけです〉
道中、河口湖畔のホテルに泊まり富士山を眺め〈一番いい姿を全部見せてあげられたんじゃないかな、と思います〉などと語っているのだ。
あたかも“死出の旅路”を実況中継するかのようにテープは続いた――。第2回【「絶対死なせてくれよ、頼むな!」 “自殺実況テープ”を聞いたジャーナリストが「いまだに説明がつかない」と語る“ゴーッという激しいノイズ”の正体】では、戦慄を禁じ得ない“最後の場面”について触れている。