「自分が障害者だと思ったことはない」 ノーヒットノーランを達成した隻腕投手「ジム・アボット」を育てた父の特訓(小林信也)

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 1988年ソウル五輪の野球(公開競技)。前回ロスで金メダルを取った日本代表への期待は大きかった。

 投手陣には野茂英雄、潮崎哲也、石井丈裕、渡辺智男。捕手は古田敦也、野手は野村謙二郎、笘篠賢治ら後にプロ野球で活躍するメンバーがそろっていた。

 予選リーグを3戦全勝で通過し、準決勝で地元韓国を3対1で破った日本は、決勝でアメリカと対戦した。

 この時、日本の前に立ちはだかったのが、隻腕投手ジム・アボットだった。

 高校卒業時、MLBトロント・ブルージェイズからドラフト指名を受けたが、ミシガン大学に進みエース投手として活躍。チームを2度ビッグテンカンファレンス(所属リーグ)の優勝に導いた。

 ソウル五輪前、6月の日米大学野球で来日し、アボットの存在は日本でも知られていた。生まれつき右手首から先がない。右手の先にグラブを乗せて投球し、投げ終わるとすぐ左手にグラブをはめる。話に聞くだけではとても信じられない投球を、五輪決勝で世界中が見せられることになった。

 ハンディキャップを感じさせない力強い投球。身長190センチ、ガッシリした体形の左腕から投じられるボールには球威があった。日本の打撃陣は9回完投したアボットの前に3点しか奪えず、3対5で敗戦。銀メダルに終わった。

 日本代表の監督を務めた鈴木義信が後のインタビューで語っている。

「ピッチャー強襲の打球を胸で止め、すぐ拾って一塁に投げた。アボットの気迫に日本ベンチは圧倒された」

 それは松本安司(三菱名古屋)の一打だった。アボットは胸に受けた後、跳ね返ったボールをすぐ追いかけ素早く一塁に送球、松本をアウトにしている。

 アボットの快投は世界で注目を浴びた。グラブを巧みに扱う一連の動作は“アボット・スイッチ”と呼ばれ、野球ファンを驚かせた。それはもちろん一朝一夕で身に付けたものではない。

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