現地を騒がせた“大谷翔平流”父親リストの使い方 「一般的には3日まるまる取る」「ダルビッシュ有はエースながらフルで休んだ」
エースでも3日間の休暇
「父親リスト」は労使協定に基づき11年から始まった。日本人で最初に取得したのは13年6月の青木宣親。大谷同様、アウェーの試合を2試合欠場して本拠に戻った初日から復帰した。
ただ、
「一応レギュラーでしたが、チーム内に優秀なライバルがいましたし、当時は日本人選手の多くが制度の何たるかを理解していなかったので、早く戻りたくて気が気でなかったのでしょう」
鈴木誠也(30)は、第1子が日本で生まれた際、カブスが優勝争いから脱落してしまったため、父親リストの有給3日に7日間の無給休暇を加えて一時帰国している。
先発投手となると、登板日とベビー誕生が重なる確率は低いので、制度を利用せずに済ます選手もいるようだ。18年7月、当時ドジャースにいた前田健太(37)は第2子の出産地も試合もロスだったため、出産に立ち会った後に球場に向かいマウンドに立った。
しかし、子だくさんで知られるダルビッシュ有(38)はというと、
「22年8月に四男が誕生した際、ポストシーズン進出がかかった大事な時期で、エースという立場ながら、3日間まるまる休みました。その穴を埋めるため、他の先発投手が登板を1日早めています」
大谷に話を戻そう。急ぎ足でチームと合流して出場した試合は、3打数無安打。
「睡眠が十分でなかったのか、ヒジの防具を着け忘れて打席に立っていました。初めて見る光景でしたね」