捨てる神あれば拾う神あり…20代半ばで“クビ通告”も、新天地でやり返した「北別府2世」「立浪2世」ら不屈の男たち
「もう野球はやりたくない」と自暴自棄になりかけた
昨オフ、26歳でDeNAから戦力外通告を受け、巨人に拾われた左腕・石川達也が開幕から先発ローテに入り、開幕3連勝に貢献した。過去に“リストラの星”と呼ばれた選手は、30代のベテランが多いが、石川のように20代半ば前後で自由契約になりながら、移籍先で花開いた男たちも存在する。【久保田龍雄/ライター】
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1995年にドラフト1位で阪神に入団した山村宏樹もその一人だ。甲府工時代に“北別府学2世”と呼ばれた右腕は、98年9月17日の広島戦で7回を1失点に抑え、プロ初勝利を挙げた。
だが、さらなる飛躍を期した翌99年春、自律神経失調症の影響から練習に出る気になれず、夜も眠れなくなるなど、日常生活もままならなくなった。医師は完全に野球を辞めるか、転地療養するかの二択を迫った。
そこで、7月から山梨の実家で約1ヵ月療養しながら、自らの“原点”である高校野球の夏の県大会を観戦するうち、「もう一度野球をやりたい」と気持ちが前向きになった。8月に練習を再開し、11月の秋季キャンプのメンバーにも入った。
ところが、「来年はやれるかもしれない」と思いはじめた10月末、突然球団から自由契約を通告され、「もう野球はやりたくない」と自暴自棄になりかけた。
だが、捨てる神あれば拾う神あり。実家に帰り、今後の人生の相談をしているときに、近鉄・梨田昌孝監督の意を受けた小林繁投手コーチから電話があり、入団テストを受けるよう勧められた。
梨田監督は、2軍監督時代から山村の投球を評価していた。翌2000年2月の日向キャンプにテスト生として参加。見事合格をかち取り、ここから野球人生が大きく開ける。
同年は開幕から先発ローテを担い6勝、翌01年には自己最多の7勝を挙げ、近鉄の12年ぶりVに貢献した。
そして、楽天時代の06年、不思議なめぐり合わせで、阪神時代に自分をクビにした野村克也監督が就任する。自著「楽天イーグルス優勝への3251日」(角川SSC新書)によれば、当初は「いっそどこかにトレードに出してほしい」と思ったが、キャンプ中、野村監督から「お前は体調が良ければ、できるのはわかっていた」と言われ、7年前の決断が苦渋の選択だったことを知ると、吹っ切れた気持ちになった。
同年は自己最多タイの7勝、翌07年も6勝1セーブを挙げるなど、先発、リリーフで草創期の楽天投手陣を支え、35歳まで現役を続けた。
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