“女子高生コンクリ詰め殺人”と比べて「僕なんか全然軽いっすよ」…史上最悪の少年事件を起こした“19歳”は「反省しても仕方ない」と言い放った

国内 社会

  • ブックマーク

「僕には怒ってくれる人がいなかったんです」

 凶悪犯への面会取材は消耗する。当時、1年にわたって取材を続けていた永瀬氏は、満員電車で帰宅中に気分が悪くなり、途中駅に降りた瞬間、意識を失ってそのままホームに崩れ落ちた。コンクリートに顔面から突っ込んだことで、歯が折れただけでなく、顎の骨を割る大怪我を負う。結果、手術と3週間の入院生活を余儀なくされた。退院後の面会で、その顛末を伝えると関は眉根を寄せ、心配そうに言ったという。

「いやぁ、身体には気をつけてくださいよ」

 苦笑するしかなかった永瀬氏。心身ともにダメージを負い、そして周囲から“なぜあんな気分の悪くなる事件を取材するのか?”と非難されても、関との面会を続けたのは「絶対に最後まで取材したいという思いがあったから」だった。

「やめようとは一回も思わなかったです。関のことを一番知ってるは自分だなって自負もあった。拘置所取材で彼がこう言ったことがあります。“あなたと部屋(拘置所)の外で会っていたら、僕はこんな風にならなかった。僕には怒ってくれる人がいなかったんです”と。いや、僕は当時、アクリル板を隔てて安全地帯にいたからこそ怒れたのであって、外で会っていたら絶対に怒れませんが……。ただ、きっと彼は寂しかったんじゃないでしょうか」

 死刑が確定した後も、生への執着を見せ続けた関――。だが、執行の日は意外にも暴れ出すことはなかったそうだ。

「静かに逝ったそうです。諦めてるっていう感じで、暴れはしなかったらしいです」

 拘置所では素直な様子だったという関だが、第1回【「人を殺すと眠くなるんですよ」…市川一家四人殺害事件を起こした“19歳少年”が死刑確定後に「120キロ」まで太った身勝手すぎる理由】では、そんな彼がたった一度だけ激昂した意外な理由について詳報している。

高橋ユキ(たかはし・ゆき)
ノンフィクションライター。福岡県出身。2006年『霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記』でデビュー。裁判傍聴を中心に事件記事を執筆。著書に『木嶋佳苗 危険な愛の奥義』『木嶋佳苗劇場』(共著)、『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』、『逃げるが勝ち 脱走犯たちの告白』など。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。