“女子高生コンクリ詰め殺人”と比べて「僕なんか全然軽いっすよ」…史上最悪の少年事件を起こした“19歳”は「反省しても仕方ない」と言い放った

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「次は俺かな」

 千葉県市川市で見ず知らずの家族4名を相次いで殺害したのは、事件当時19歳の少年だった――。“史上最悪の少年犯罪”と呼ばれる「市川一家四人殺害事件」。事件を起こした関光彦(てるひこ)は死刑判決を下され、44歳だった2017年12月に刑が執行された。生前の彼を取材し、東京拘置所で幾度も面会を重ねてきたのが、作家・永瀬隼介氏だ。関とのアクリル板越しの暗闘をまとめたノンフィクション『19歳 一家四人惨殺犯の告白 ―完結版―』の文庫版が、この4月に光文社から「完結版」として出版された。永瀬氏に拘置所での関とのやり取りを改めて振り返ってもらう。【高橋ユキ/ノンフィクションライター】

〈全2回の第2回〉

第1回【「人を殺すと眠くなるんですよ」…市川一家四人殺害事件を起こした“19歳少年”が死刑確定後に「120キロ」まで太った身勝手すぎる理由】の続き

「拘置所で別の死刑囚に死刑が執行された時は、関も鬱状態のようになっていましたね。怖くて。やっぱりわかるらしいんです、“死刑執行があるな”という雰囲気が。同時に“次は俺かな”と感じて鬱になってしまうようでした。僕が取材をしていたときはまだ死刑が確定していなかったので、実際に執行されることはあり得ないんですけどね。それでも、自分の将来を思い描いて鬱状態に入ってしまう。そんな時は、面会に出向いても話ができません。後日、届いた手紙には“あの時は死刑執行があって気持ちが落ち着きませんでした”と書かれていました」

 面識のない4人を次々と殺害した関でも、自分が死ぬのは怖かった。確定前から死刑に怯え続け、暴食を重ね、120キロを超えるまで体重を増やしたそうだ。絞首刑を回避するための肥満化である。死が迫る恐怖を身近に感じたことで、自分が殺めた被害者への思いを少しは理解しようとしたのだろうか。永瀬氏は面会取材で、そんなことも問うてきたという。ところが、関が放ったのは「もう僕が反省しても仕方ない」という言葉だった。

「いわく“反省しても反省しても何の反応もないし、反省しても仕方がない”と。しかし、被害者は彼自身が殺害したために、この世にいないわけですから。反応がないのは当たり前で、そう伝えてきました。すると、“遺族からも何も反応がない”というわけです。つまり、“僕はこんなに手紙を書いているのに遺族から反応がない”と。そのことに対して不満を抱いているんですよ。反省を示したら遺族に認めてほしい、承認してほしいと思っているようでした。到底理解できないのですが、そういうことを平気で口にするんです」

「救いようのないクズ」

 永瀬氏は著作で関を〈救いようのないクズ〉と呼んでいる。犯行当時19歳だった彼は「未成年のうちに起こした事件だから出所できる」と思っていたという。他の少年事件と比べて「自分の事件は大したことない」と言うこともあった。

「驚いたのは、彼は母親に辞典など勉強に関する書物を差し入れされるんですよね。出所してやり直したいと思ったからだそうです。つまり、彼は10代だったら何をやってもいいという思いが頭の中にあった。10代だったら何をやっても許されると考えていたんです。“20歳だったらやっていない”とも言っていました。未成年であることを自覚して犯行に及んでいます。そして、そんな彼が言うには“僕は永山さんと違う”んだと。“永山則夫は同じ19歳で4名を殺害したけど、ある程度期間を置いて4人を次々に殺していった。僕の場合は一晩ですから”って言うんです。問いただすと“一晩で爆発的にやったんで、僕の方が罪は軽い”と言うわけです。これにも驚きました」

 関はまた、東京・足立区で起きた“女子高校生コンクリート詰め殺人事件”の主犯4人が死刑判決を下されなかったことを引き合いに出し、「あれに比べたら僕なんか全然軽いっすよ」と語った。「50歳や60歳になって殺すやつと俺は違う。分別がある年齢で殺しをやるやつと、10代の自分では違う」などと、自身の犯した罪があたかも“若気の至り”であるかのように訴えたという。

「面会中に“それは違うぞ”と私が説教すると、彼は言い返すことはせずに飲み込むタイプでした。でも、絶対に自分が悪いとは思っていません。私の言葉に納得もしていなかったと思います。でなきゃ、確定後にあんなに太って死刑を逃れようとしないでしょう」

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