「平気でムダな仕事を作る上司」と「空想的平和主義者」の共通点って?

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 最近の日本企業ではフジテレビ、日産あたりのトップの決断が批判にさらされているが、一定期間組織で働いて、上司や経営者に不満を感じたという経験がない人は滅多にいないだろう。

 比較的よくある不満の一つが「何のための仕事だか分からないことを強いられる」というものだ。理由を聞いても「黙ってやれ」の一点張りで、無駄なことをやらされる。それでやる気が出るはずもない。

 中堅メーカーなどで最高財務責任者(CFO)などを務め、経営再建に携わるなどの経験を基に『なぜこんな人が上司なのか』を執筆した桃野泰徳氏によれば、この種の上司に特有の思考パターンがあるという。それは日本で「リーダー」とされる多くの人たちに共通する病理のようなものだ、と。さらに、ある種の「平和主義者」にも通じるところがあるという。

 それは一体いかなる思考なのか――。以下、桃野氏の特別寄稿である。

役に立つとは思えない仕事

 昔、地方のメーカーでCFOをしていた時のことだ。

 工場に着くなり、現場責任者の女性からこんなクレームを聞くことがあった。

「桃野さん聞いて下さい。この日報、何かの役に立っていると思えないんです。本当にこんなもの必要なのでしょうか」

 通常、生産日報は予定数量や原価と実績を比較管理し、人や物の動きをコントロールするためのツールだ。

 しかし彼女が差し出したそれは、売り上げ、売上原価、理由、今日の気付き、といったような“作文”を求めるアナログなもの。

 無意味な作業をさせられていることに、現場はストレスを感じていると話す。

 そのためその足で本部長のところに行き、その活用状況を聞くと、

「経費削減のために、毎日の日報は大事な情報源です」

 と返してきた。さらに私は質問を重ねてみた。

「はい、そう思います。ところでこの日報で、どんなことを把握できているでしょうか」

「コストが上がったらおかしいと、すぐに気付けます。現場の考えを取り入れる上でも欠かせないツールです」

「現場との大事なコミュニケーションツールなのですね、承知しました。では具体的な成果や行動につながった最近の事例に、どんな報告がありましたか?」

「……日々の空気感の把握は欠かせない情報です。そういった問題ではありません」

 また別の日のこと。

 会議の席で、ある部長がこんな成果を説明することがあった。

「経費削減のために、出張最終日は新幹線を使うのをやめさせました。夜行バスで帰って来るように指示しています」

 そしてそのまま出社する運用に改め、交通費の削減と効率化に成功したと“実績”を誇る。私は思わず疑問を口にしていた。

「ちょっと待ってください。会社が指示したスケジュールであれば、出張後の移動でも労働時間とみなされる可能性があります。心身の疲労と翌日への影響を考えても、夜行バスは本当にプラスなのですか?」

「出張からの帰路ですので、残業代は出さなくても問題ありません。疲労についても、コストカット優先なのでやむを得ません」

「部長、それは会社が負担すべきコストを部下の負担に転嫁しただけです。会社の利益と従業員の利益を対立させると、モラルハザードを招きます。コストカットをするのなら、本質的な方法で考えて下さい」

 どちらの事例の管理職も、大企業からの転職で中途採用したという、本当に立派な経歴の人だった。

 なのになぜ、「経費削減」を求められるとここまで目的を履き違え、無駄なことを始める“優秀な人”が後を絶たないのか。

 長年疑問に思っていたが、最近一つの答えらしきものが分かった気がしている。

「戦争反対」

 話は変わるが、例年、終戦記念日や太平洋戦争開戦の日が近づくとメディアでは、「反戦特集」のようなものが多く流されるようになる。

 昨年の8月中旬、あるテレビで識者とされる方と司会者の、要旨こんなやり取りを聞くことがあった。

「韓国では徴兵制を敷いているので、若者が皆屈強でうらやましいですね」

「その点は日本も見習うべきですね。あ、日本では徴兵制をやるべきではありませんが。戦争には反対なので」

「やっぱり徴兵制はそうですよね。平和が一番です」

 このようなやり取りを聞き、どんな感想を持つだろうか。

 おそらくよくあるような掛け合いなので、特に記憶に残らない、という人が多いかもしれない。あまり安全保障などを真面目に考えたことがない人、いわゆる空想的平和主義者にはこのような主張を信じている人は珍しくない。こういう人は「軍隊を持っていることが戦争のリスクを高める」といった主張を真顔ですることがある。

 テレビに出ていた識者の「徴兵制イコール危ないモノで、戦争への第一歩だ」という考え方もこれと同様である。

 しかし実はこの議論、目的と手段がまったく対応していない。

 いったいなぜ、徴兵制を敷けば開戦の可能性が高まるといえるのか。

「戦争はやるべきではない」は目的、「だから徴兵制は避けるべき」は手段。問題はなぜこの目的と手段が対応したことになっているのか、である。

 為政者が戦争を選択する可能性と徴兵制の有無など、歴史的にみても近現代の世界情勢を鑑(かんが)みても、関連性など見当たらない。

 あえて刺激的な物言いをお許しいただくなら、少なくとも現代の日本の場合、徴兵制を敷いた方があらゆる戦争の可能性が低くなると断言できる。

 むしろ戦争に反対し、本気で平和を求めるのであれば、徴兵制の導入をこそ訴えるべき、という考え方は十分成立するのだ。

 なぜそんな事を言い切れるのか。

 想像していただきたいのだが、もしも自分の夫や妻、子供、恋人や親友が兵役に就いている状況で、軽々な開戦など支持できるだろうか。開戦のきっかけになると承知で、

「領海侵犯した外国の軍艦は、ただちに撃沈すべき」

 などと、声高に主張できるだろうか。

 愛する人たちの命を懸けるに値する戦争であり、決断であるのかを、国民は文字通り死ぬ気で考えるだろう。

 私には陸海空の自衛隊の幹部から曹士(下士官・兵)まで、多くの友人・知人がいる。気のおけない飲み友達、心から敬愛する将や幹部、その配偶者まで、多くの人との御縁に恵まれている。

 そんな皆を思った時、ご家族のお顔を思い浮かべた時、「死ぬ覚悟で戦ってほしい」などと、とても軽々しく言えない。

 そんなことをお願いできるのはきっと、文字通り国家存亡の危機に直面している時くらいだろう。戦わなければ国民の命が奪われる、というような時である。

 もし軽々に戦争を支持できるのであれば、それはきっと自衛隊と接点や関わりがなく、自衛官のことを、「自分とは関係がない、遠い存在の組織や人」と思っているからだ。

 だからこそ、国民から自衛隊・自衛官を遠ざけてしまうと、結果として政治家が戦争を選択するハードルを下げてしまうことになる。

 だから「戦争反対なので、徴兵制は支持しません」という主張は、あらゆる意味で破綻しているのだ。目的と手段がまったく結び付いていない。

北方領土で戦えという人

 その典型的な事例が、日本維新の会の衆議院議員だった丸山穂高氏である。

2019年5月、北方四島ビザなし交流訪問団の一員として国後島を訪問した丸山氏は、元島民たちとの懇親会の席で要旨、こんな発言をする。

「戦争をしないとどうしようもなくないですか」

 言葉通りに受け止めれば、自衛隊による攻撃こそ、北方領土を取り戻すことができる唯一の手段、という趣旨ということになる。

 同氏は東大出身で、経産官僚から政治家になった人物。自衛隊に命令すれば、「どんな戦いもできる」という妄想すらしていたのかもしれない。

 しかし外征のための訓練などしておらず、その装備も備蓄も兵站もない自衛隊に、フル装備のロシア軍が待ち構える北方領土への上陸作戦を命じるなど、狂気だ。

 もし丸山氏自身が、何の準備もなく、薄着・手ぶらでエベレスト頂上を踏破できるというならまだ説得力はあるが、それくらい不可能である。

 自衛隊との接点も、国防への理解もないからこその妄想でしかない。

 加えて、北方領土を武力で取り戻すというのは、「ロシアを屈服させる」と同義である。これがどれだけ大変なことか、この数年、私たちは見てきた。もし自衛隊が北方領土への攻撃を開始したら、ロシアが、日本全国、とりわけ主要都市部や重要インフラへの苛烈なミサイル攻撃、さらに上陸作戦を開始する可能性は高い。

 結局のところ、「北方領土を取り戻す」という目的のために、「自衛隊に攻撃させる」という手段は、あらゆる意味でまったく成立しない。

「アメリカを巻き込んでの対ロシア全面戦争、第3次世界大戦をするしかなくないですか?」

 という主張ならばまだ手段として成立しているが、21世紀の日本でそんなことを妄想する政治家はいないだろう。

 徴兵制の話もそうだが、こと安全保障政策に関しては、このように目的と手段がズレた「なんとなくそれっぽいこと」を語るメディアや政治家があまりにも多い。

 そして冷静で現実的な議論が進まない背景の一つに、私たち国民に、安全保障に関するリテラシーが全く備わっていないということがあるのではないのか。

 国を守るとはどういうことか。

 自衛隊・自衛官とはどういう存在なのか。

 一人でも多くの人にぜひ、そんなことに関心を持ってほしいと願っている。

「目的はパリ、目標はフランス軍」

 話は冒頭の、“優秀な大企業出身の人たち”についてだ。

 なぜ彼ら上司は、目的と手段が一致しない「無駄で無意味な施策」を始めるのか。

「目的はパリ、目標はフランス軍」という言葉がある。

 ビジネス書として、また戦史の名著として知られるベストセラー、『失敗の本質:日本軍の組織論的研究』(戸部良一他著・中公文庫)で紹介され、有名になった教訓だ。

 プロイセン(ドイツ)の戦略家、クラウゼヴィッツの言葉とも、モルトケの言葉とも、ビスマルクの言葉ともされているが要旨、以下のような考えた方を説いたものである。

“対フランス戦における勝利の目的は、パリ占領。そのための目標は、フランス軍の撃破”

 目的(戦略)の達成のためには、適切な目標(戦術)の設定が不可欠である、という趣旨である。

「なんだ、そんなこと当たり前じゃないか」

 と思うだろうか。

 しかし私たちは、この程度のことですら、日常生活で全く実行できていない。

 だからこそ、以下のような勘違いをやらかす。

「目的は経費削減。目標は新幹線を利用する社員の排除」

「目的は領土奪還。目標は北方領土ロシア軍の排除」

 どちらも本来の戦略目的を達成できないばかりか、できたとしても目的以上の大損害を被ることは明らかだ。

 ではなぜ、リーダー、上司たちはこんなバカな勘違いをし、また的はずれな戦術を部下に指示するのか。

 背景には、まともなリーダー教育を受けたことがある上司などほとんどいないという、日本的な組織文化がある。

 JTC(ジャパニーズ・トラディショナル・カンパニー)にはびこる、“成功しなくてもいいから失敗だけはするな”という病理がそれだ。

 こういった組織では、本来責任を負い、結果を出すことで高給をもらっているはずのリーダーたちが、こんな利害得失観で組織を動かしている。

「目的は給料、目標はやったという雰囲気づくり」

「目的は失敗しないこと、目標は部下の正論つぶし」

 だからこそ、読みもしない日報を提出させ続けるような管理職、新幹線禁止令を出して満足するような管理職が、後を絶たない。

 そんな上司に悔しい思いをしているビジネスパーソンは、きっと多いはずだ。

 何かを成し遂げるためには、正しい目的と目標の設定が不可欠であること。

 ぜひ世の中のリーダーたちには、そんな基本を再確認してほしいと願っている。

桃野泰徳(ももの・やすのり)
1973年生まれ。編集ディレクター、国防ライター。大和証券勤務を経て、中堅メーカーなどで最高財務責任者(CFO)や事業再生担当者(TAM)を歴任し独立、起業。リーダー論、組織論を中心に朝日新聞GLOBE+や経済誌に執筆。著書に『なぜこんな人が上司なのか』『自衛隊の最高幹部はどのように選ばれるのか』がある。

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