「なぜ泣けるのか」が全部つながる朝ドラ「あんぱん」 “伏線と回収”で魅せる中園ミホの脚本力とは
矛盾しないストーリー
結びついたエピソードはまだある。二宮和也(41)が演じる柳井清は登美子の夫で嵩の父。1年ほど前に病死した。新聞社に勤めていた。働き手を失った母子は竹野内豊(54)が扮する義兄・柳井寛を頼る。寛は高知県御免与町で医院を開業していた。
第1回。寛宅で嵩は黙々と絵を描いていた。そんな嵩に登美子は「もうちょっと愛想良くしないとね。寛先生に可愛がってもらわなきゃ」と声を掛ける。母子が寛宅に長居するつもりだと視聴者側に予感させた。
ところが違った。第3回。登美子は嵩に向かって「もう前を向かなきゃ」と口にした直後、「しばらく留守にするから」と言い残し、再婚するために出ていってしまった。
観る側はあっけにとられた。しかし、登美子の言葉には含みがあったものの、矛盾はしていない。第1回から嵩を置き去りにするつもりだった。
だから「可愛がってもらわなきゃ」と言った。
先が読めない物語のようで、よく観ていると、ある程度は見通せる。セリフに矛盾がないからだ。唐突にエピソードを入れるようなこともない。吉田の言葉のとおり、「展開は予期していても、胸がジンとなり、考えさせられる」脚本なのである。
物語の深度も深い。同じ第3回、登美子は寛とその妻・千代子(戸田菜穂)には自分の再婚を伝えたが、嵩には言わなかった。追い掛けてきた嵩から「本当に迎えに来てくれる?」と尋ねられると、複雑な表情でうなずいた。
登美子は自分がむごいことをしているのは分かっているのだろう。本当のことを言わず、ウソを吐いたのは、無慈悲な登美子の精一杯の情け。それと、自分が現実から目を逸らすためだろう。
第3回の脚本は言葉の選び方も巧みで、珠玉だった。登美子が去り、もう帰って来るつもりがないことに気づいている嵩は意気消沈していた。場所はシーソー乗り場。だが、ひとりぼっちなので上下しない。止まったまま。がらんと空洞になった嵩の心象風景を表していた。
そこへ明るく登場したのが、のぶである。のぶはシーソーに乗り込み、「しゃーない、嵩はうちが守っちゃる!」と告げた。シーソーは勢い良く上下した。
嵩は転校生で内向的。のぶとも距離があったが、ここで初めて「朝田のぶさん」と名前を呼んだ。のぶが「のぶでえぇて」と笑うと、「のぶちゃん」と言い直した。そして2人とも「ギッコン、バッタン」と口にしながら、シーソーを動かした。間髪入れずに林田理沙アナウンサー(35)によるナレーションが入った。「のぶと嵩の心もギッコン、バッタン」。2人の気持ちも軌を一にし始めた。
のぶと嵩のモデルである小松暢さん、やなせたかしさんは結婚した。のぶと嵩も結ばれるのだろう。その起点と2人の家族像をたった3回(計45分)で描いた。どの朝ドラ関係者も同様のことを言うが、「ホームドラマの一種である朝ドラは序盤で主人公の家族像を伝えるのがセオリー」なのである。
中園脚本が矛盾なく全てつながっていること再び書き表したい。第1回で釜次が石材店を営んでいることを視聴者の誰もが知った。第6回、釜次が墓石の下敷きになり、働けなくなった。結太郎も他界しているから、朝田家は経済的に困った。
そこでのぶがあんぱんをつくって売ることを思い付く。第7回である。当初は釜がないと当惑するが、目の前に石がある。それで石窯をつくった。第8回だった。石材店であることも釜次のケガもすべて結び付いた。全てが後のエビソードにつなげるための布石だったのである。
この朝ドラの優れた点を挙げ始めたら、キリがない。まずナレーションが極端なまでに少ない。名匠・山田太一さんは初期こそナレーションをあえて多用したが、名作朝ドラ「藍より青く」(1972年度)ではほとんど使っていない。ナレーションに頼ると、説明調になる上、視聴者が想像する余地を奪ってしまう。
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