「素直に謝らない」フジ文化の象徴 退社しても変わらぬ笠井アナのズレっぷり
「楽しくなければ」なフジ文化を助長させる「おばさん」体質 おばさんより「おばさん」な笠井アナの恥じらいのなさ
「おばさん」というのは、本来は年齢による女性のカテゴライズに過ぎない。しかし多くの場合、単に年齢のことを言ってはいない。あけすけで、うわさ好きで、自分や身内にしか通じない理屈をどこでも押し通すずうずうしさや鈍感さを指して使われやすい。かつてそれは「オバタリアン」などという言葉で表現されたこともある。
笠井アナと軽部アナを「おばさん」と命名したフジ時代の同僚も、井戸端会議を連想したからというよりも、そういうニュアンスを込めていたのではないだろうか。
目が笑っていないと指摘される軽部アナは、キャラとしての軽薄さを意識しているように見えるが、笠井アナからそれは感じられない。ただただ自分が注目されるうれしさを体全体から発している。かつて「街で笠井アナだと声をかけられないとさびしい」とコメントしていたのを強烈に覚えているが、そんなことを堂々と言ってのける臆面もなさに驚いた。
テレビに出ている人はすごい、人気タレントと飲める自分はすごい。そうしたミーハー心と優越意識を公言してはばからない社員にとって、フジテレビは天国だろう。「おじさん」だらけの首脳陣が批判を浴びたが、はやりもの好きで鈍感な体質が助長した面も否めないのではないだろうか。それは前述のネガティブな意味を含む「おばさん」の体質だ。人気タレントや、人気タレントと飲む場をセッティングしてくれる社員が目をかけてくれたのに、喜ばないなんて変わってるわあ。「おばさん」度の高い人間なら、きっと大声でそう言い放つだろうと、容易に想像ができてしまう。
「上納」なんて在籍した35年間見たことも聞いたこともない、と言い切っていた笠井アナだが、後輩である長谷川豊アナからは、意に沿わぬ形でタレントと密室に置き去りにした張本人だと告発されている。笠井アナは記憶違いではと反論したが、長谷川アナは当時の日記を持ち出して否定。長谷川アナは第三者委員会の窓口に自ら連絡したとも明かしており、笠井アナに火の粉がふりかかってくる可能性もゼロではないだろう。
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