玉音放送を聞くと「じゃあ、整列して腹を切るか」と呼びかけ… “日本人とは何か”を考えた篠田正浩監督の根底にあった敗戦
役者が自分で考えるように
近松門左衛門の人形浄瑠璃が原作の「心中天網島」(69年)は、中村吉右衛門さんと岩下さんが生と死の狭間に置かれた男女の情念を狂おしく演じて絶賛された。
「境遇を受け止め、結果として挫折し敗れても懸命に生きたことは揺らがない。心中を美化せず、これも生き方だと捉えた。同作は敗戦時から考え続けたテーマの一つの集大成となった」(おかむらさん)
以降も敗戦まもない日本を見つめた「瀬戸内少年野球団」(84年)などヒットが続く。
「現場で細かく指示する演出はしませんでした。事前に参考になる資料を渡し、役者が自分で考えるようにさせていた姿を見たことがあります」(おかむらさん)
「お客さんを満足させる映画が撮れない」
戦時中、日本で起きた諜報事件を題材にした「スパイ・ゾルゲ」(2003年)を最後に映画監督を退く。
当時72歳。引退には早いと言われても「お客さんを満足させる映画が撮れない」と決意を変えなかった。大きな世界観への関心が日本人に薄れてきているのではないかとも感じていた。
大島渚監督の妻で女優の小山明子さんは言う。
「大島が車椅子姿で監督協会の集まりに出かけた時、まっさきに駆け寄って話しかけてくれたのが篠田さん。温かくて優しい人でした」
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