元中日・ブランコ氏が事故死… 凶弾や交通事故、悲しくも帰国後に「不運な死」を遂げた「助っ人選手」たち

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自家用車を運転中に崖下に転落

 交通事故で亡くなった元助っ人もいる。

 阪神で5年間プレーし、1979年にプロ初登板の江川卓から逆転3ランを放ったことでも知られるマイク・ラインバック氏もその一人だ。

 1980年限りで退団し、帰国後は京都の呉服会社のロサンゼルス支店総支配人に就任。81年8月に来日し、甲子園に観戦に出かけたときには、スタンドの阪神ファンから「マイク!」「マイク!」と大歓迎を受け、「(うれしくて)胸が詰まった」と感激しきりだった。

 その後、コンピューター技師に転身したが、89年5月20日、自家用車を運転中に操作を誤り、崖下に転落するという痛ましい事故により、39年の早すぎる生涯を閉じた。

 戦力外通告を受け、帰国のわずか4日後に交通事故で死去したのが、西武の投手、ミゲール・デルトロ氏である。

 SFジャイアンツ時代の2000年に2勝を挙げたメキシコ出身右腕は、スライダー、カーブ、チェンジアップ、シュートなど豊富な球種を買われ、翌01年、3年ぶりV奪回を狙う“東尾西武”がリリーフ要員として獲得。4月14日のロッテ戦でリリーフとして来日初登板、同25日の近鉄戦では初先発も務めた。

 そして、4月30日のロッテ戦では、5回1死からリリーフして2/3イニングを投げ、直後、味方が逆転したことから、来日初勝利を手にした。

 だが、登板14試合で1勝1敗、防御率5.59と安定感に欠け、シーズン最終戦当日の10月1日に戦力外通告を受けた。

 翌2日、メキシコに帰国したデルトロ氏だったが、同6日午前9時ごろ、ソノラ州シウダ・オブレゴン郊外で友人の運転する車に同乗中、対向車のトラックと正面衝突し、乗車していた4人全員が死亡した。享年29。

 突然の訃報に、親交のあった元チームメイトのデニーは「2人の子供も日本に連れて来ていたし、(来年)5月には3人目も生まれるのに……」とショックを受けていた。西武球団は翌02年、デルトロ氏の死を悼み、着けていた背番号32を1年間欠番にした。

 日本で活躍した助っ人が帰国後も元気でいることを知らせるニュースは、ファンにとっても心温まるものだが、不運としか言いようのない訃報は、とても悲しく、切ないものがある。

 ブランコ氏、並びに本稿で紹介した愛すべき元助っ人たちのご冥福を心から祈りたい。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

デイリー新潮編集部

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