元中日・ブランコ氏が事故死… 凶弾や交通事故、悲しくも帰国後に「不運な死」を遂げた「助っ人選手」たち
中日、DeNA、オリックスの主砲として活躍し、通算181本塁打を記録したトニ・ブランコ氏が4月8日早朝(日本時間9日)、故郷・ドミニカ共和国の首都・サントドミンゴのナイトクラブで屋根の崩落事故に巻き込まれ、43歳の若さで死去した。NPBではこれまでにも多くの外国人選手たちがプレーしているが、今回のブランコ氏同様、退団帰国後に事故やアクシデントなどで不運な死を遂げた元助っ人も何人かいる。【久保田龍雄/ライター】
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外国でプレーしたプロ選手は、凶悪犯罪者の標的になりやすい
帰国から7年後に銃弾に倒れたのが、日本ハム時代の1981年に本塁打王(44本)、打点王(108打点)の二冠に輝き、東映時代以来19年ぶりのリーグVに貢献した“サモアの怪人”トニー・ソレイタ氏である。
日本ハム在籍4年間でいずれも30本塁打以上を記録したソレイタ氏は、83年限りで退団すると、故郷・サモアに帰り、政府の教育局体育部に公務員として勤務するとともに、野球の支援活動も続けていた。
ところが、90年2月10日、土地取引のトラブルで地元住民と大喧嘩になった挙句、路上で住民に射殺され、突然人生の終焉を迎えた。まだ43歳だった。
前出のソレイタ氏同様、凶弾に命を奪われたのが、近鉄の元投手、ナルシソ・エルビラ氏である。
メキシカンリーグ時代にシーズン2度のノーヒットノーランを記録したエルビラ氏は、近鉄1年目の2000年6月20日の西武戦でも、NPB史上80人目となる20世紀最後のノーヒットノーランを達成。同年は6勝を挙げたが、翌01年は1勝に終わり、在籍2年で退団した。
その後も韓国・サムスンやメキシカンリーグで41歳まで現役を続け、引退後は故郷のメキシコ東部ベラクルス州でサトウキビ農場を経営する一方、野球熱の盛んな地元のスポーツ振興にも力を尽くしていた。
だが、2015年6月16日、仕事のためトラックで出かけたところを行方不明になり、地元警察も誘拐事件として捜査に乗り出した。日本のファンも安否を心配していたが、約1ヵ月後、誘拐犯6人が逮捕され、エルビラ氏は従業員とともに無事救出された。メキシコでは、外国でプレーしたプロ野球選手は、“富める者”として、凶悪な犯罪者たちの標的になりやすかった。
さらに2020年、危難が再びエルビラ氏を襲う。高速道路を走行中、2台のワゴン車に乗った武装集団から20発以上の銃撃を受け、同乗していた20歳の息子とともに殺害されるという悲しいニュースが1月28日に飛び込んできた。
逃走を試みたエルビラ氏は、逃げ切ることができず、乗っていた車の後ろで頭などから血を流し、倒れていたという。まだ52歳の働き盛りだった。ベラクルス州は複数の麻薬カルテルが存在し、メキシコ国内でも危険な地域として知られていた。日本国内も近年は強盗事件が多発するなど、治安が悪化する一方だが、外国の“銃社会”はそれ以上に恐ろしいということを痛感させられる。
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