「沢村忠」を倒すためキックボクサーに 76歳になった「富山勝治」が“回転バック蹴り”をひらめいた瞬間を語る(小林信也)

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100回で3回だけ

 沢村には“真空飛びヒザ蹴り”という武器があった。いわば大看板。富山にはそれがなかった。だがある試合でついに“運命の技”に出会う。

「あれは一瞬のひらめきでした。名前も覚えていない相手との試合。私が後ろ回し蹴りにいこうとした瞬間、相手が私の軸足を蹴りにきた。とっさに私はジャンプして、そのまま回って後ろ蹴りを出した。それがアゴに入って、相手は一発でノビた」

 衝撃的なノックアウト。富山の覚醒の瞬間だった。

 試合後、キックをずっと後援していたスポニチのベテラン記者が控室で言った。

「富山君、キミの得意技は“後ろ回し蹴り”だ。ずっと続けなさい!」

 富山はその技を“回転バック蹴り”と名付けた。

「でもね、鮮やかに決まったのは、100回以上蹴って3回だけなんです。

 2人目はケットン・ルークプラカノン(タイ)。ケットンは担架で運ばれました。3人目がチューチャイ・ルークパンチャマ(タイ)。これも一発で決まった。この時、TBSの責任者の方に、『やっと沢村を超えたな』と言ってもらえた」

 一瞬のひらめきから生まれたと言うが、そのひらめきに至る前段に、粘り強い努力の日々があった。

「同じ延岡の先輩に、空手の東恩流の一瀬真澄さんがおられた。この方に後ろ蹴りを教わりたくて、当時いらした和歌山に3カ月滞在して習いました。朝から晩まで、後ろ蹴りばっかり。まったく休みなし。イヤになるくらい稽古しました。私は負けず嫌いだし、自分で教えてくださいと頼んだのだから、弱音を吐くわけにいかない。あの一瞬のひらめきは、この3カ月があったから生まれたのでしょう」

蓄膿症の手術で

 富山の選手生活は、花形満、稲毛忠治、ロッキー藤丸らとのダウンの応酬、壮絶な逆転KO劇に彩られている。サミー・モントゴメリー(米)戦では2ラウンドに空中でパンチを浴び、肩から落ちて右肩を脱臼骨折した。激痛の中、ドクターとセコンドの制止を振り切って戦い、終盤ローキックでKO寸前まで追い詰めた。

「負けたけど負け方がよかったから次につながった」

 現役13年間で打たれたダメージは半端でなかっただろう。それを聞くと富山は小さな声で言った。

「自衛隊の頃、蓄膿症の手術をしたんです。鼻の下から額まで皮膚をめくり上げて鼻の骨を削った。ドクターに、『キックボクシングなんてやったら再起不能になるぞ』と警告された。それでもやりたいと言い続けると、ある日、船の甲板ですれ違い様、『ヨシ!』とドクターが叫んだ。『いいことを思いついた。とにかく顔にパンチやキックを受けたら、効いてなくてもすぐ倒れろ』そう言われた。それで私は相手のパンチが顔に触(さわ)ったらすぐ倒れていたのです」

 フリーノックダウン制で、何度倒れても試合を続けられたからできた作戦。

「でも後遺症はありますよ。最近は物忘れがひどい」

 76歳でなお精悍(せいかん)なまなざしの富山が笑った。

小林信也(こばやしのぶや)
スポーツライター。1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部などを経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』『武術に学ぶスポーツ進化論』など著書多数。

週刊新潮 2025年4月3日号掲載

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