【べらぼう】教科書で「賄賂政治家」と習ったはずが…田沼意次が正論ばかり吐く理由

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幕府の利益を追求しすぎた結果

 この時代、否応なく商業活動が拡大し、農業が商業に組み敷かれるようになってきていた。以前は、そこで商業を統制し、農本主義への回帰が指向されたが、それは不可抗力で膨張していく商業の前に虚しい抵抗だった。一方、現状を受け入れ、商業が拡大しているなら、そこから利益を引き出せばいいと考えたのが、田沼の政治のあたらしさだった。

 だが、民間から次々と献策を募る状況下では、賄賂が横行するのも不思議ではない。田沼時代の代名詞のように語られてきた「賄賂」は、実際、数多く見られたようだ。ただし、意次の名誉のためにいえば、彼が賄賂を受け取ったという記録はない。

 そして、意次にとっては重商主義的な政策、すなわち利益追求型の政治は、彼がのちに大元帥明王に誓うように、自分の懐を潤すためではなく、幕府の利益のためだった。すなわち将軍家にとって意次は、きわめて儒教的な忠義の家臣だったのである。

 ただし、追求したのが幕府の利益に偏りすぎていたため、次第に諸藩が抵抗し、商人たちも抵抗するようになり、意次は足を引っ張られる。

 先の願文を書いた天明7年(1787)10月2日、意次はさらに所領2万7,000石と相良城を没収された挙句、隠居および謹慎を命じられる(辛うじて1万石は孫の意明のために残された)。そして失意のうちに、翌天明8年(1788)7月24日、70歳で没した。

 しかし、この処分は、私利を追求したから下されたのではない。幕府の利益を追求しすぎたがゆえのものだった。異例すぎる出世を遂げたばかりに、それを実現してくれた将軍家への恩返しという意識に縛られすぎたのかもしれない。

香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。

デイリー新潮編集部

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