佳子さま「ブラジル訪問」に込めた思い 「ハイレベルな皇室外交」の担い手として「覚醒された」の声も

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懐に飛び込んで

 国際親善で活躍した近現代の女性皇族を代表する1人が、有栖川宮慰子妃だ。1889(明治22)年に夫妻で欧米を訪れ、伊では国民から広く敬愛されていたマルゲリータ王妃になぞらえて「日本のマルゲリータ」と報道されたとのエピソードも残る。

「マルゲリータ・ピザ」の名は一説に王妃が語源と言われており、慰子妃の振る舞いによって、ピザが愛好されていた伊で、いかに日本人のイメージが向上したのかは想像に難くない。慰子妃は外遊以前から欧州各国の王室による社会事業や教育といった活動に関心を持ち、夫に同行することを強く希望して実現した渡欧だった。

 渡欧3年前の86(明治19)年、小松宮彰仁親王に同行して洋行した頼子妃が欧州でカネに糸目を付けずにブランド物を買いあさり、明治天皇に激怒されたという逸話が『明治天皇紀』に残っているように、反面教師がいたこともあって、慰子妃の名は皇室外交の歴史に深く刻まれている。

 実は秋篠宮さまは、眞子さんとともに何度も海外に行かれている。タイ訪問やマダガスカル訪問、ラオスとタイの周遊は、いずれも一緒に赴かれているのだ。秋篠宮家関係者は、こう回顧する。

「『父君とお嬢様の親子旅行とは珍しいな』と感じたものです。それはまるで、眞子さま(当時)が公務での国際親善を始める前に、歴史的にも重い皇室外交への心構えを、伝授されるためだったかのようでした」

 佳子さまは、皇室外交を始められる前の私的な外国旅行自体が少ない上、秋篠宮さまとご一緒したのは眞子さんと3人で訪れたタイのみ。留学したのも英リーズ大のパフォーマンス文化産業学科で、皇室外交のために国際感覚を磨くというよりは、ダンスなどの舞台芸術を、文化とビジネスの2つの側面から学ぶためだったと揶揄されたこともあった。

 ある宮内庁首脳経験者はこう話す。

「いよいよ今月から始まる大阪・関西万博で、来日するVIPとの皇室外交でホスト国の“顔”として大きな期待が寄せられている若き日本のプリンセスたちにあって、佳子さまには相手国に渡って、懐に飛び込む型式でのハイレベルな皇室外交も求められるようになっています。22年9月に1人暮らしを始めてから佳子さまに大きな変化がみられるのは、ご自身がこれに気が付き、覚醒されたからなのです」

朝霞保人(あさか・やすひと)
皇室ジャーナリスト。主に紙媒体でロイヤルファミリーの記事などを執筆する。

デイリー新潮編集部

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