会見3日前の中居正広氏をキャッチ! 変装姿で向かった「意外な場所」とは? フジのドンから権力を奪った「第二の日枝」の素顔も紹介
フジが中居正広氏(52)の女性とのトラブルに端を発する、一連の問題に関わる第三者委員会の報告書を公表したのは3月31日。
一方で、会見の3日前である3月28日、中居氏は高級外車を自ら運転し、都内の一級建築士の設計事務所を訪れていた。一級建築士の男性としばし話し込むと、最終的には茶色の大型封筒を手にその場を後にした。新居を建てる予定があるのだろうか――。
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【独占写真】高級外車でお出かけ… 「中居正広氏」の変装姿をカメラが捉えた!(3月28日撮影)
最後まで“煮え切らない態度”
フジテレビの第三者委員会は報告書の中で、日枝久取締役相談役(87)が醸成した閉鎖的な企業風土の問題を指摘したが、その日枝氏を権力の座から追い落したのは、「第二の日枝久」ともいえる存在だという。
報告書では、長年ドンとして君臨した日枝氏の問題が追及された。
「日枝氏はフジやフジ・メディア・ホールディングス(フジHD)の役員の指名の仕方を“ブラックボックス化”し、“透明性と公平性を欠いた”との指摘がありました」(フジ関係者)
この報告書が公表される4日前の3月27日、フジHDの金光修社長(70)は、日枝氏のフジ及びフジHDの取締役相談役退任について報道陣に、
「(日枝氏は)早い段階で経営の刷新に賛成しており、“方法は任せる”と言っていましたので、私と清水(賢治・フジテレビ社長)が考えた」
と、日枝氏が自ら進んで役職を退任したかのように受け取れる説明をしている。だが、実情は異なるようだ。
「金光社長たちは日枝さんに“相談役を退いてもらえれば6月の株主総会を乗り切れる”と伝えていたのですが、日枝さん本人は周囲に“俺はいつでも辞める準備はできているよ”と言いながらも、最後まで煮え切らない態度でした。退任発表の1週間ほど前まで、“金光たちが俺に退任してくれと言ってきているんだけどさ……”とまわりに漏らすなど、悩んでいる様子だったと聞いています」(フジの元役員)
日枝氏は実際のところぎりぎりまで逡巡し、金光氏らに押し切られる形で、権力の椅子を手放したというのである。
「これはクーデターですよ」
「これは金光のクーデターですよ」
そう声を潜めて言うのはフジの元重役である。
「株式会社富士テレビジョン(現在のフジHD)を設立し、フジサンケイグループの土台を築いたのは池田勇人内閣時代に財界四天王の一人として知られた水野成夫です。しかし、1968年に水野は脳溢血で倒れ、鹿内信隆がグループの実権を握りました。その鹿内家をクーデターで追い出して権力を掌握したのが日枝氏だったわけですが、金光氏は日枝氏を本人の意に反して権力の座から追い落とした。OBの間では金光氏がクーデターに成功したとの見方が広まっています」(同)
この点、前出のフジ関係者もこう述べる。
「報告書によれば、港氏の後任人事は金光氏が主導して清水氏に決めたとのことです。一方、金光氏はその人事について、日枝氏に報告こそ行っているものの、“(日枝氏の)影響力の行使があったとは認定できなかった”とも。金光氏は清水氏の社長就任をはじめとする人事を通じて、日枝氏から権力を奪取したと見るべきです」
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