人妻教員に惚れ、海外まで追いかけた学生時代…51歳男性を暴走&迷走させた“ぶっ飛んだ”母の教え
10歳年上の教員に惚れ…
淡々とした関係なのだろうが、彼が母を全面的に信頼していることはよくわかる。結局、彼は就活をするのが嫌になって留年した。母親に伝えると「もう学費は払わないからねー」と突き放された。
「こういうときは孫に甘い祖父母に頼むしかない。学費だけ祖母から借りました。この1年で、自分のやりたいこと、やるべきことを見つけようと、生まれて初めてきちんと自分と向き合ったつもりです」
ところがその留年中に、彼は大学に教えにきていた先生に恋してしまう。外国から来ていたその先生は、恭正さんより10歳ほど年上で結婚していた。夫は別の大学で教えているという。恋愛対象にしてはならない相手だが、彼の心には火がついてしまった。講義と関係のある質問を考えては先生に議論を挑んだ。
「1度だけ一緒に喫茶店に行ったことがあります。もちろん口説いたりはしていません。既婚者の先生を困らせたくはなかった。でも本当に好きだったんですよ」
1年後、彼女は夫とともに母国に帰ることになっていた。また日本で教える日がくると思うけど、とりあえずは帰ると聞いて、彼は目の前が真っ暗になった。これほどの恋心を抱いているのに、自分の胸は毎日熱いのに、会えなくなるなんて信じられなかった。
「若かったんですよね、僕も。帰国してから、聞いていた住所に手紙を書いた。返事も来ました。いい友だちみたいなノリに見せかけていたけど、僕の心の中は彼女への恋愛感情でいっぱいだった。そして別れてから3ヶ月後、僕は彼女を追ってその国に行ってしまったんです」
会って話がしたいと言うと、彼女は夫をともなって現れた。夫も恭正さんを「妻の教え子」として丁重にもてなしてくれた。これ以上の進展は望めない。彼は数日間の滞在で、すごすごと帰国した。
「一応、大学は卒業し、その後はよくある“世界放浪の旅”に出ました。傷心を抱えて。だけどどんなに貧乏旅行をしても、実は僕には帰る場所があるわけですよね。これって偽善みたいなもの、人生をわかったふりができるようになるだけだと感じて、これまたすごすごと3ヶ月ほどで帰国しました」
迷った息子に送った母の言葉
自分が情けなかった。ふらっと実家に戻ってみると、相変わらずエネルギッシュな母親が元気に働いていた。一族は常に元気で活発なのだ。「この人たちには人の憂いみたいなものが欠如している」と恭正さんは感じたという。
「母親からは『遊んでいて食べられると思うなよー』と冗談交じりに言われました。『あんた、おばあちゃんに借金してるんでしょ。早く返しなさいよ』って。さすがに『オレ、なにをしたらいいんだろう』と母に愚痴のように言ってしまいました。すると母は『あんたの目標はなに? 人様の役に立ちたい? 自分が金儲けしたい? その両方?』って。金儲けというよりは、自分が楽しいことをして人の役に立てればいいけどねと言うと、じゃあ、そういう仕事を探しなさいよ、なければ自分で立ち上げればいいと。あっさり言いますよね」
人生の目標が見えない。そこで自転車に乗って全国行脚の旅に出た。どうやらあまり深く考えないままに行動に移すのが恭正さんという人間のようだ。「そうなんですよね。まあ、若かったし。自分の目で見たことを信じて何かを始めたかった」と彼は言った。
1年間で海外も含め、あちこちへ出かけたので知り合いが増えた。人との出会いは楽しい。そうか、それなら人と人をつなぐ仕事をしたらどうだろうと考えるようになった。そして彼が始めたのは個人旅行者をサポートする仕事だった。
「すごく儲かるわけじゃないけど、自分ひとりが食べていくくらいは稼げました。僕が旅から得たのは知り合いが増えたことと、世の中にはいろいろな人がいるということ。文化も風土も違う国を知るだけでも勉強になったので」
少しずつ仕事が忙しくなっていったので、長期アルバイトを募集した。それに応募してきたのが美冬さんだった。彼女には留学経験も社会人経験もあった。それなのになぜこんなところでアルバイトをする気になったのかと尋ねると、就職した会社で人間関係がうまくいかず、1年で辞めたのだという。今で言うパワハラセクハラが横行していたらしい。
一緒に仕事をしているうち、恭正さんは美冬さんに惹かれていった。28歳のとき、同い年の彼女と結婚した。学生時代の友人たちが3日続けてお祝いのパーティを開いてくれた。妻となった美冬さんは「あなたはたくさんの宝物をもっているのね」と言った。そんな美冬さんを彼は愛した。
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美冬さんと出会い結婚したことで、落ち着きを取り戻したかに見えた恭正さん。だが、なぜ20年も不倫関係を続けることになったのか――。【記事後半】でそのてん末が紹介されている。
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