「40億円で始めるんだ」豪快に事業失敗も…アントニオ猪木の弟が「先見の明はあった」と語る理由

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元秘書が脱税疑惑を告発

――元秘書から脱税疑惑を告発されたこともありました。

 僕はある部分で、すごく兄貴はかわいそうだなと思います。全然知らないところで好き勝手やって、最後は兄貴に責任を負わせようとした。でもね、そういう変なことをやった人間は、必ず自分も変なことになってしまいます。それをわかってない。やっぱり、人間って、人に悪いことをすると必ず自分に返ってくる。これはもうこの世の摂理ですよ。

――ビジネスの世界にも進出されましたが、事業家としてはどうでしたか。

 僕も含めてなんですけど、本当の専門家でなければ、携わってはダメだということですね。

――著書では、1980年にいまで言うバイオ企業、アントン・ハイセルの事業をスタートさせた際、お兄さんが「40億円で始めるんだ」と言ったという話も書かれてあります。

 僕はもっと小さく始めて、どういう風にやるとうまくいくか試してみるべきだったと思っていました。失敗する前にテストができて、色々なことが調べられるので。でも、最初から大きくやっちゃったために、うまくいきませんでした。

 ただ、兄貴には先見の明はあったと思います。常に将来を見据えて行動していました。環境問題に目を向け、リサイクルや食糧危機に備える事業を始めましたが、当時はまだ「環境なんて」と言われている時代でした。でも、兄貴は「これからは環境の時代が来る」と考えていたんです。

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 第5回【孤立した晩年、4畳半の部屋に閉じ込められて…アントニオ猪木が漏らした絶望の言葉】では、4度の結婚や亡くなる直前の様子を明かしている。

猪木啓介氏
1948年、横浜市出身。猪木家11人きょうだいの末弟。1957年、一家でブラジルに移住。1971年、新日本プロレスに入社し営業を担当する。アントニオ猪木の闘病生活を支え、最期を看取った。

デイリー新潮編集部

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