「おいアゴ」「ブラジルの猿」と罵倒され…猪木が力道山から強要された「一升瓶の一気飲み」
やっぱり体が大きかった
アントニオ猪木は、14歳の時に家族でブラジルに移住している。現地で力道山にスカウトされ、プロレス界に入ったのは有名な話だ。当時、ブラジルでは、どのような生活を送っていたのか。5歳年下の弟で、『兄 私だけが知るアントニオ猪木』(講談社)を上梓した弟の猪木啓介氏(77)が明かす。(全6回の第2回)
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【写真】力道山、刺傷の現場となった「ニューラテンクォーター」
――ブラジルで、お兄さんのことで印象に残っていることはありますか。
やっぱり体が大きかったために、かわいそうなこともありました。兄貴は大人以上に仕事をさせられたんですよ。
――どのような仕事をしていたのですか。
コーヒーの袋詰めをして、それをトラックに積み込む仕事です。普通は40キロの袋なのに、兄貴が扱っていたのは60キロの袋でした。最後は袋を高く積むために投げ上げなければならず、14歳の体でそれをやらされていました。他の兄弟も力はあったんですが、なぜか兄貴がそういう仕事をさせられていましたね。
――それが体を鍛えることにつながったのでしょうか。
それもあると思います。兄貴は草刈りもやっていて、大きな鎌を振って雑草を刈るんですが、その力が半端じゃなかった。広大な土地を管理させられていました。その仕事を通じて、引っ張る力や持ち上げる力が自然と鍛えられたのではと思います。
――プロレスラーとしての基礎がそこで作られたんですね。
そうですね。60キロの袋をただ持ち上げるだけじゃなく、投げ上げるわけですから、普通の人にはできないことでした。日本から来たある青年が、試しにやってみたのですが、持ち上げることはできたけれど、投げることはできませんでした。
――ブラジルにいた頃と比べて、お兄さんの性格は変わりましたか?
性格は変わらないですね。昔から優しくて、兄弟同士で喧嘩することもほとんどなかったです。
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