3年間の単身赴任から戻ると「わが家」に違和感… 51歳男性が「やめろ」と言った長男の趣味
【前後編の前編/後編を読む】長男の衝撃告白に激怒し、家庭内孤立… 家に帰れない51歳夫が求めた「安らぎ」の真実とは
泣きっ面に蜂とか弱り目に祟り目とかいう諺があるように、悪いことが次々起こる時期というのはあるものだ。何かをきっかけにして坂道を転がり始めると、予想していた以上にとんでもない場所にたどり着いてしまうこともあるだろう。
徳倉祐司さん(51歳・仮名=以下同)は、「3年前、息子のある告白から僕の人生が狂ってしまった」と話す。
【後編を読む】長男の衝撃告白に激怒し、家庭内孤立… 家に帰れない51歳夫が求めた「安らぎ」の真実とは
祐司さんは学生時代からつきあっていた、同級生の瑛美さんと26歳のときに結婚した。当時としてはやや若い結婚だった。
「でも18歳からつきあって、1年後にはほぼ同棲状態でしたから。結婚するなら早めにと思っていました。新卒で入った会社で、なんとかやっていけそうだと思ったのが3年目。瑛美も仕事は続けるけど早く結婚したいと言っていた」
両家もすでに顔なじみになっており、結婚には何の障害もなかった。子どもはふたりか3人、友だち夫婦で友だち親子、そんな気楽な家庭にしようと話し合った。
「今思えば、結婚する覚悟とか親になる覚悟とか、そういうのは微塵もなかった。ただ、僕は瑛美が好きだったし、好きな人と一緒にいたら気持ちが落ち着く。うちの親も若いときの結婚だったけどずっと仲がいいし、早い結婚のほうが老後、ふたりで楽しめる時間が長いんじゃないかなと思っていました」
28歳のときに長男、30歳のときに次男が産まれた。共働きで、どちらも多忙なときは近くに住む瑛美さんの両親が手伝ってくれた。子どもはふたりと決めていたが、35歳のときに娘が産まれた。娘は神様からの贈り物だと思ったと、祐司さんは笑顔を見せた。
単身赴任で家族と距離が
ごく普通の平凡な家庭だったと彼は言う。きょうだいげんかもあるし、夫婦げんかもあったが、家族は基本的に何でも言いたいことを言い、自由に行動していた。子どもたちが小さいころは毎週末、家族で過ごした。近所の公園に行ったり、みんなで餃子を作ったり。冬休みや夏休みには、祐司さんの会社の福利厚生施設を使ってスキーや海水浴も楽しんだ。
「瑛美は子どもたちを中学から私立に入れたかったようですが、それは子どもたち自身と僕が反対しました。私立は大学だけでいい。ただ、どうしてもこの学校でなければダメということがあるなら、プレゼンしてこい、と。誰もプレゼンしませんでしたね」
長男が中学生のころ、祐司さんに思いがけない転勤の辞令が出た。本社勤務から転勤になるのは珍しいことだったが、役員に呼ばれて「どうしても九州地区の営業所へ行ってほしい」と直々に頼まれたのだ。それほど優秀でもない自分がなぜと思ったそうだが、会社の評価は高かった。
「当時、まだ40代前半でしたが、部長職を任されていました。ただ、うちの部はたまたま年齢的に僕しかいないという状況だっただけなんですよ。僕は仕事に命を懸けている前世代とは違うし、かといって効率だけを求める後輩たちとも少し違う世代なので、会社としては使い勝手がよかったんじゃないでしょうか。ともあれ、転勤には困ったなあという感じでした」
家族と話し合って、結局、単身赴任ということになった。家族といるのが何より楽しいと感じていた祐司さんにはつらかったが、これは受け入れるしかなかった。
「僕は昔、野球部だったから息子たちとキャッチボールをするのが楽しくてたまらなかった。月に1、2回は帰ってくるとしても寂しくなるなあと。息子たちは案外、平気そうな顔をしていましたけどね」
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