「あなたたち、挨拶できないの?」大物女優からまさかの一言…憧れの「夜ヒット」で「頭が真っ白に」

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本当にハードでした

 撮影は、台本通りに進みます。私が「この競技に出たい」って思っても、すでに出る競技は決まっていました。私はショートカットで運動が得意そうなイメージがあったみたいですが、実は泳ぐのも走るのもすごく苦手だったんです。

 一方で、(同じ「CoCo」のメンバーの)三浦理恵子ちゃんは、見た目がフワっとしたイメージだったんですが、実はすごく運動神経が良くて、走るのも速いし、泳ぎも得意。でも、テレビ向きの本格的な競技は、私に回ってくるわけです。

 例えば、25メートルを競うハードな競技には、私が出ました。飛び込んで泳がなければいけないんですが、私は飛び込みもできないし、25メートルも泳げなかった。でも、スタッフに「無理だろうけど頑張って」って言われると、やるしかありません。

 飛び込めないから1人だけ中に入ってスタートします。15メートルくらい進んで、途中で立って、また進む。もちろん、ビリですよね。しかも、泳げないのにその競技に出ているのは意味がわからなくて、ひんしゅくを買っていました。

 でも、(三浦)理恵ちゃんは、実はめっちゃ泳げるのに、ロープを使ってジャンプして水に落ちるみたいな、見ていて癒やされるかわいい競技に出ることが多かったんですよね。羨ましいなって思ってみていました(笑)。

 騎馬戦も「CoCo」のメンバーと出ましたが、上に乗るのは小柄な羽田恵理香ちゃんで、私は下で支えていました。あれ、ガチなんです。最初は怖がっていたんですが、帽子を取られそうになると、 みんな一気にスイッチが入って、取られまいと必死になるんですよ。

 水泳大会は計4回、出たと思います。ハワイで行われた大会にも出場しましたが、トライアスロンみたいな競技をやらされて、本当にハードでした。正直、当時は本当に嫌でしたが、今振り返ると、思い出がたくさんできました(笑)。

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 第5回【伝説のグループ「CoCo」はなぜ、「解散」という形を選んだのか「大充実のアイドル人生」】では、メンバーが「解散コンサート」にこだわった理由などを語っている。

宮前真樹
1973年、東京都出身。89年、アイドルグループ「CoCo」のメンバーとしてデビュー。94年にグループ解散後は、タレントとしてバラエティ番組などで活躍。2004年から芸能界を離れ、料理研究家として活動する。

デイリー新潮編集部

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